よく「伏線が回収されていて素晴らしい!」なんて感想を見かけるけど、私には無駄がなさ過ぎるように感じられる。全てに意味があり過ぎる。推理小説でパズルの最後のピースが嵌まるときのような快感は分かるけれど、そんなに何でもかでも、ファンタジーやら、恋愛やら、ビジネスやら、伏線まみれで、どうするの? 伏線もよいけれど、伏線らしきものが回収されないのも一つのリアリティではないか。私はいつも森鴎外の「護持院原の敵討」の宇平のことを思い出す。話の詳細はきれいさっぱり忘れているが、宇平は途中で敵(かたき)討ちを諦めて一行のもとを立ち去る。見つかるかも分からない敵(かたき)を追い続けてどうするんだ、と言って。そしてその後はまったく作中に登場しない。これが今の伏線小説だったら、重要な転機(例えば、敵討ちの場面だとか、敵を見つける場面)に宇平を登場"させる"んじゃないか? でも、現実はそうはならない。バラバラになったら、そのままバラバラになるほうが、むしろ自然なんじゃないかと思う。