もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

たい焼き

 たい焼き屋の焼け焦げた暖簾。がらがらがらと今や懐かしくなった音を立てる引き戸を開けて、美味しそうな焦げた匂いのなかに飛び込む。すぐ左手には焼き場があって、あのゴトゴトという音がたえず聞こえてくる。焼き場を見ると、キャップを深くかぶった、おじいさんとも見分けがつかない、けれど後頭部がうっすらはげていることだけが分かる男の人が、焼き場には似つかわしくない事務用の椅子に腰かけて、ただ黙って、忙しそうに焼き型をひっくり返していた。

 あまりにも当たり前になった「いらっしゃいませ」という言葉がいつまで経っても聞こえてこないことに、私は「そうだ、ここは”昔の世界”だった」と思い出した。普段の気取った私から、少し意気を入れて、元気な感じに。

「すいませ~ん! むっつお願いします!!」
「みっつぅ!?」
「むっつぅ! ろっこ!!」
「はい」

 それからおじさんは黙って焼き型を開けて、油を塗り始めた。

 埃まみれのレジや、机のうえに散らばった封筒やスポーツ紙。おせじにも綺麗とは言えない店内は、職住が一致した商売特有の人間味が感じられて、懐かしくもあり、寂しくもある。それは子どもの頃に見慣れた光景であると同時に、老いとともにその見慣れた光景が崩れ去ってゆくことも、私に思い知らせる。壁にはヘルパーさんの担当日を書いた紙が懸かっている。そうして改めて見れば、この店主も椅子に座っているのは足腰が悪いからで、キャップをかぶったのはおじさんではなくかなり高齢のおじいさんなのだと気がつく。さて、私はあと何回、この時間を過ごせるだろうか。この店主にこのたい焼きを作ってもらうことが出来るだろうか……。

 そうしてたい焼きが焼きあがると、椅子からゆっくりと立ち上がり、机に手をついて包装紙のところに向かう。私はそれをただ見守ることしか出来ず、こんなことをさせている自分が申し訳ない気持ちになりながら、それでもなお商売を続けるこの老人の心境を想像しようとし、それは聞いてはいけないことだと思った。せめてものお礼にと、万感の思いで精一杯の笑顔を作ったつもりだったけれど、それが伝わったとは思わない。

 そうして買ったたい焼きを家族で食べたが、家族は「焦げがある」だとか「あんこが少ない」などと言ってあまり評判は良くなかった。けれども、「少し焦げあるたい焼き」は、手間暇かけた”一匹もの”の証であり、控えめの甘さのなかにほんのり利いた塩味はいくつ食べても飽きの来ない、口のなかを軽やかに通り抜ける、品のある味だった。そしてなにより、たい焼きを渡してくれた店主の、真心のこもった挨拶に、今やなかなか見られなくなった人間味あるやり取りが感じられて、とても嬉しかったのだ。