もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

寿司屋の「おあいそ」と、スタバの「呪文」

 寿司屋で「おあいそ」と言う人は未だに居るけれど、上島珈琲店で「ラージ三糖ワン」と注文する人は居ない。このことから、寿司屋で用語を使うことと、上島珈琲店で用語を使うことは何かが違う、ということを想像することが出来る。

 普通、上島珈琲店にあまり行かない人ならば、メニューに従って「リッチミルク紅茶の和三蜜を、ホットで、ラージサイズで」なんて言うかもしれないし、もう少し慣れた人なら一息で「ホットの和三蜜ミルク紅茶をラージサイズで」と言うかもしれない。それでも、通ぶって「ラージ三糖ワン」と言う人はまず居ない。

 そう考えると、スタバは特殊だ。スタバには呪文を使う人が居るからだ。カスタマイズの内容によっては40文字を超える場合もあるという。そんなものを頼む人が実在するのかは分からないが。

 寿司屋の「おあいそ」とスタバの「呪文」は、(出典は分からないが!)どちらも店員の符丁に由来する点では共通している。それでは、その違いは何だろうか?

 少なくとも、スタバの「呪文」は「おあいそ」よりは実用的な気はする。「おあいそ」を「お会計」と言い換えてもほとんど省略にはならないが、「呪文」はかなり省略されるはずだ。もっとも、「呪文」が正しく円滑に伝わるとすれば、という前提は付くが。

 とすると、上島珈琲店で「ラージ三糖ワン」と頼むのも、メリットはありそうなものだ。「ホットの和三蜜ミルク紅茶をラージサイズで」と言うよりも、「ラージ三糖ワン」と言う方がはるかに簡潔だ。それでも、「ラージ三糖ワン」と言う人は居ない。

 それは何故かと考えると、店員の符号を客が使うのは越権行為だという認識があるからだろう。それはある種の術語であり、特定の役割を持つ人たちだけが使うべき言葉なのだ。むしろ、「おあいそ」や「呪文」のほうが特殊だ。「おあいそ」も「呪文」も、これほど一般化された越権行為の例が他にあるだろうか?(こうした符丁が一般化した例を知りたいな、とふと思った)

 「おあいそ」に対しては、「店員の符丁であり、客が用いるべきではない」と異論が唱えられるようになってきたと思うのだが、「呪文」も同じ道のりを辿ることになるのだろうか。「客は呪文を控えるべきである」という言説がどれだけあるのだろうか。そもそも、「呪文」を実際に使う人がどれだけいるのだろうかとも思うが。

 ともあれ、こんなことを考えて、寿司屋で通ぶる人たちの姿に、スタバで粋がる人たちの姿が、時代を超えて重なるような気がして、思わず黒い笑いを浮かべてしまうのである。