この本を図書館で見つけてピンときました。まず「首をはねろ!」という衝撃的なタイトルで驚き、メルヘンと暴力という意外な副題に興味をそそられました。そうして読んでみると、メルヘンの暴力からいつになっても変わることのない人間のさがを解き明かしてゆく筆者の話に思わず引き込まれてしまい、あっという間に読み終えてしまいました。(こんな長文を読むほど気長な人は少ないだろうと思い、言いたいことは最初の段落でざっくり表現するようにしています)
メルヘンの残虐性については、ある程度は広く知られていると思います。そもそも「赤ずきん」からして、赤ずきんに助けてもらったおばあさんは狼への報復として腹を裂き石を詰めていますし、「白雪姫(雪白ちゃん)」にしても女王(継母とされることもありますが、初版のグリム童話では実母です)は灼けた靴を履かされ踊り狂って死ぬという壮絶な最期を遂げています。
こうした有名な例は序の口でしかありません。兄弟、親子、祖母と孫、嫁姑、隣人といった身近な人間に嫉妬し、不幸を願い、殺害を企てる。それも、ただ殺すだけでは飽き足らず、じわじわ傷つけながらなぶり殺したり、目を抉ったり、焼いて生き地獄を味わわせたり、スープにしたりと、残虐な物語ばかりが取り上げられています。それを知るだけでも衝撃的で面白いところです。
そしてさらに本書が面白いのは、その残虐性を面白おかしく取り上げるのではなく、「なぜ残虐なのか」というところに考えを進めているところにあります。それを要約するとこのようになります。
広範囲に及ぶ資料の中から、わたしは代表的な暴力シーンを選び出し、分析した。これらのシーンを見て分かるのは、いかに人間は暴力的になりやすいかということ、いかに人間が暴力をふるい、あるいはそれに耐えているかということ、あるいは、いかに人間が暴力から身を守っているかということである (p. 7)
そこから見えてくるのは、人間が持つ”暴力に対する欲求”でした。ある場合には進んで暴力を行使し、それが叶わぬ場合は空想のなかの暴力で抹殺し、身を守るための暴力は正当化される。その暴力は、兄弟や姑といった家庭内(家族が憎み合うということです!)はもちろんのこと、隣人、教会、王国と、人間社会のありとあらゆるところに存在するものです。
ここで筆者は重大な指摘をしています。それは、この”暴力に対する欲求”を誰もが持っているということです。メルヘンの読み手は、自分は善良な主人公であると信じたいでしょうし、残虐極まりない悪役(身内であることも多い)の死を願うでしょう。ところが筆者は、悪役が描く嫉妬や不信という感情はわたしたち自身が持つものでもあると言います。家族を八つ裂きにしたいと願うことはなくても、自分より出来の良い弟が居なくなれば……、などという他人を排除したがる感情があるというのです。
そしてメルヘンは、そうした負の感情を抑制したいと思う人びとの気持ちに応えるものでもあります。悪役に自分のおぞましい感情を乗せ、悪役が処刑されることで自らのおぞましい感情も処刑される。そうして善良な自分を信じることができる。ところが、悪役を処刑するのもまた暴力なのです。”正当と認められた暴力”に人びとは快感を見出します。それを逆手にとって、正当であると主張するために、被害者を悪人に仕立て上げることさえあるのです。
本書を読めば読むほど、メルヘンの残虐性は「ずっと昔の、しかも外国の話だから」「文化が違うから」などと言って済まされる話ではなく、むしろ人間の心や人間の営みにつきまとう普遍的な問題をそのまま描いた物語なのだということを感じずにはいられません。そこには当然負の部分も描かれています。しかし不思議なことに、本書を読んでそうした負の部分が描かれていると知ることで、いっそうメルヘンに対する共感や考えが深まってゆくのです。
あらためて、グリム童話も読んでみたいものです。
- 作者: カール=ハインツマレ,Carl‐Heinz Mallet,小川真一
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1998/10
- メディア: 単行本
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