もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

あいさつ

 いつの間にか、相手に応じてあいさつを変える習慣が身についた。ざっくり分けると、男性に対しては声を張って「ッはようございモァす!」と行くか(文字にすると笑える)、普通に「おはようございますー」で行くか。女性なら「おはようございまーす(語尾に「♪」が付いちゃいそうな感じ)」か、ただ柔らかく「おはようございます」と言うか。

 じつはそれは大したことではなくて、相手のあいさつに同じトーンで返しているだけということも多い。けれどそれをやっているうちにその人のあいさつのしかたが分かってきて、自分からその人の感じに合わせてあいさつをするようになった。それは、他人に気を遣っているということなのかもしれないが、わたしとしては「あなたの敵ではない」という意思表示であり、それは背後から自国に攻め入られる脅威を取り除くために軍事同盟を求めるのに近い。本当に仲間かは分からないけれど、とりあえずここは手を結ぼうじゃないか、と、そんな心境であいさつをしている……ということもある。

 あいさつは、見た目のつぎくらいにはその人の印象を決めるのではないだろうか。見た目という視覚情報のつぎに、その言葉、声色、抑揚、強弱、といった聴覚情報からその人となりを想像したりする。触り心地(触覚)はさておき匂い(嗅覚)も大切かもしれないが、やはりあいさつのほうが重要ではないかと思う。

 あいさつはどれくらい大切なのか。悪い方から考えると、あいさつをしない人に対してどう思うか。じつはあいさつをしない人はけっこういるのだとも聞く。

 わたしの場合、たぶん一発で「礼儀の無い人」とレッテルを貼ってしまうと思う。場合によっては「聞こえてなかったのかな?」とか「忙しいのかな?」などと理解できることがあっても、やはりあいさつしないのは普通ではない。

 そこでわたしは次にこう考える。なぜその人はわたしにあいさつをしないのか。

 他人に対してもあいさつをしないのならただの礼儀の無い人で済む。自分をないがしろにされているわけだから心証は決してよくないが、そういう人なのだと納得できる。ただいっそう困るのは、自分だけを選んであいさつしない場合だ。これは無視の第一歩で、自分に対する敵意を感じざるを得ない。円満に、安定的に、心身穏やかに、そしてちょっぴり刺激的に生活したいだけなのに、そこにほころびが生じる。これが恐ろしいわけだ。

 蛇足ではあるけれど、このどちらでもない場合として、自分が認めた人にしかあいさつをしないという人もいた。新人などは片っ端から無視、その人にあいさつされるようになったらようやく一人前というわけだ。ただそれは明らかに例外だ。

 とにかくあいさつをしないというそれだけでこういう色々なことを考えてしまうのだから、あいさつが返ってこないというのは、ちょっとした事件ではある。

 そしてあいさつが返って来ても、その声色で自分をどう思っているかとか、その人の機嫌がどうかということが分かってしまう場合もある。女性の、和やかながらもその裏に相手に対する軽蔑の意を込めた、ピエロのようなあいさつを聞いたりすると、心のなかでゾッとするものだ。

 なんだか「若い社員があいさつをしない」という話を立て続けに聞いたので、思うままにぐだぐだと書いてみた。誰かと話したりして、もうちょっときちんと考えたいと思っている。