もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

村田沙耶香「殺人出産」「地球星人」

「殺人出産」

 空想的なシチュエーションから現実世界への疑問を問いかけるという意味では、これはSFだなと私は勝手に思った。産むことにより殺すことが許される"合理的な"制度となった日本で、産むことと殺すことの意味が大きく変容しつつある社会で、主人公は迷い、早紀子は真っ向から立ち向かい、後世代のミサキは素直に順応する。意外にも物語上関係ないアイテムであるはずの「蝉スナック」が象徴的だ。昆虫食に馴染みのない主人公は気持ち悪がるが、ミサキは「流行している」と言って美味しそうに食べる。途中読みながら、常に社会への違和感を抱えながら生きている主人公がどのような選択をするかが最大の関心事だったが、その結末は予想もしない方向に向かってゆく。

 それにしても、「コンビニ人間」にしても「地球星人」にしても、この著者が社会に順応出来ない人間を物語の中心に据える理由は何なのか。さらに言えば、これほど執拗に異常な小説を書き続けて、既存の常識への疑問を問い続けるのは何故なのか。読みながら、底知れぬ迫力を感じる一冊だ。

 

 

「地球星人」

 ポハピピンポボピア?

 はい、読者は間違いなくこの何の意味もない音素の羅列を覚えてしまったことでしょう。これであなたもポハピピンポボピア星人!(んな訳ない)

 この手の異常な物語に対して、「いや、これは我々自身なのである!!」などと言う見解が必ず出てくる。「コンビニ人間」のときもそうで、「分かる! これ私だっ!!」という人は少なくなかっただろう。

 確かに、多くの人が「コンビニ人間」的な要素を持っては居るのだろうし、「ポハピピンポボピア星人」的な要素も持っては居るのだろう。

 が、私は、そんなに普遍的な人間性が描かれているとは思えない。そんなに生易しい物語ではないはずだ。それは「コンビニ人間」でもそうだし、まして「ポハピピンポボピア星人」ならなおさらそうだ。私は根っからの地球星人、常識の泥沼に浸かりきって行きているから、「そんなにポハピピンポボピア星人」が居てたまるか、と思う。

 ポハピピンポボピアについて、私は最初、性的虐待をはじめとする異常な状況に対する現実逃避の物語、と理解したのだが、読み進むにつれてだんだん世界観がおかしくなってゆく。理解者が現れ、共鳴者が現れ、ポハピピンポボピア星人が増えてゆく。そしてポハピピンポボピア星人から地球星人を眺めてみると、これまた奇妙な生き物のように思えてくる。

 常識への挑戦、と言うと陳腐な表現になってしまうが、読むたびに頭を揺さぶられる、すごい物語であることは間違いがない。

 ポハピピンポボピア?

 はい、読者は間違いなくこの何の意味もない音素の羅列を覚えてしまったことでしょう。これであなたもポハピピンポボピア星人!(んな訳ない)

 この手の異常な物語に対して、「いや、これは我々自身なのである!!」などと言う見解が必ず出てくる。「コンビニ人間」のときもそうで、「分かる! これ私だっ!!」という書評をときどき見かけた。

 確かに、「コンビニ人間」については「コンビニ人間」的な要素を持っては居るのだろう。

 が、本作は違う。そんなに生易しい物語ではない。むしろ私は根っからの地球星人だと感じた。常識の泥沼に浸かりきって生きているから、「そんなにポハピピンポボピア星人」が居てたまるか、と思う。

 ポハピピンポボピアについて、私は最初、性的虐待をはじめとする異常な状況に対する現実逃避の物語、と理解したのだが、読み進むにつれてだんだん世界観がおかしくなってゆく。理解者が現れ、共鳴者が現れ、ポハピピンポボピア星人が増えてゆく。そしてポハピピンポボピア星人から地球星人を眺めてみると、これまた奇妙な生き物のように思えてくる。

 常識への挑戦、と言うと陳腐な表現になってしまうが、読むたびに頭を揺さぶられる、すごい物語であることは間違いがない。

 

読書日記 8月

クー・ジャイン:ダーリンはネトウヨ

 韓国人留学生による日記。自分の先入観を極力排しても彼はネトウヨだと思うのだけど、それでも本書は日本人が無意識的に持っている自文化中心主義を分かりやすく鮮やかに描き出している。「日本語上手ですね!(外国人にしては)」とか、「日本語は世界一難しい言語」とか、謎の誇りを持っている日本人の姿。読み終えると、ちょっとバツの悪さを覚えるのは、彼が少なからず私の中にも居たからだ。かわいい画風の裏に、思想の刃が隠されている。

辻村深月:傲慢と善良

 小説はあまり読まないのだけど、面白くて一気に読んだ。架も、真実も、真実の両親も、他人を害さない善良さと、自分を無条件に肯定する傲慢さが併存している。もちろん、ここで言う「善良」も、一言で言えば社会性の無さ、経験の無さ、悪意に対する鈍感さなどのことで、まったく良い意味ではない。後半の真実編のどんでん返しが圧巻。婚活事情や共依存的な親子の描写、架の女友達の明るく陰湿なさま(それに対する架たち男性のなんと鈍感=善良なこと!)が妙に生々しくて面白かった一方で、真実の一連の行動は全く理解できなかったし、結末も私には理解できなかった(悪いというわけ決してではない)。

池内恵:サイクス=ピコ協定 百年の呪縛

 中東問題の根源は、1916年5月16日、第一次世界大戦下にイギリスとフランスがサイクス=ピコ協定によって中東を人為的に分割したからだ――と言う説明が「専門家」からも為されることがあるのだが、本書を読むとそう単純ではないことが分かる。サイクス=ピコ協定で策定された単純な分割案は実施されておらず、その後のセーヴル条約ではより実態に近いかたちでモザイク状に分割されたが、問題は全く解決しなかった。それどころかムスタファ・ケマルらの民族主義に基づく蜂起を促し、ローザンヌ条約でトルコ共和国の成立へと繋がってゆく。

 現代の情勢は、むしろ大元のサイクス=ピコ協定が結ばれた情勢に近いのではないか、という指摘が興味深い。ロシアの南下に対抗できない「弱すぎるオスマン帝国」を欧米はどこまで信じ、どこまで支えるのか?

山崎元:がんになってわかったお金と人生の本質

 金融評論家らしい割り切りの良さと、サービス精神溢れる文体が奇妙にバランスがとれていて心地良い。クールだけれど、クールすぎない。過去を悔いることを「サンクコストだから無駄だ」と切り捨て、「癌治療で最大のコストは機会費用である」と言うときの著者はともすると冷静すぎるようにも見えるけれど、抗がん剤で脱毛した姿を「下級の落ち武者」と表現したり、ユーモアにも富んでいる。なにより、癌患者となって生じた諸問題や、送る側として生じた諸問題に対する一つの参考例を伝えていて、まさに「役に立つ」「面白い話」になっている。自らの境遇を嘆くことがまったく無く、とにかく読者に伝えようとする熱意に胸を打たれた。

 

読書日記 7月前半

 最近読んだ本から。

律令国家と隋唐文明

 律令国家の受容と成立を国際関係とともにダイナミックに描き出している。国号「日本」や君主号「天皇」といった、こんにちの日本の基礎がはじめて築かれた。それは、中国や朝鮮との対外的な緊張関係による要請が大きな一因だった。数百年の時間をかけて築き上げられた隋唐の律令制を、言わば"ぽっと出"の日本はどのように吸収していったのか。新書のなかでも久しぶりに骨のある本というか、難しいけれど読み応えがある。

 

アイデンティティと暴力

 アイデンティティは「単一のものではなく」、「選ぶことが出来る」し、「変えられる」、というのが、本書の一番のメッセージだ。アイデンティティを単一視し、人種、民族、宗教、国籍、文化、文明など、特定の枠組みに人びとを還元する見方(センは、還元主義、矮小化などと言っている)は、人びとをたやすく分断し、いとも簡単に争いへと駆り立てる。センの議論が面白いのは、この矮小化の問題を社会科学的な議論にまで掘り下げていることだ。「文明の衝突」論や共同体主義コミュニタリアニズム)もまた、人間を矮小化した見方である点で共通すると指摘している。原風景ともいえるカデル・ミアという男性の悲劇に始まり、単一のアイデンティティに対する疑念を問い続けたセンの議論は、学術的な議論としては「文明の衝突」論や共同体主義への認識など再批判されるところもあるのかもしれないけれど、そのメッセージ自体は一般読者たる私たちも受け止めるべきものだろうと、私は確信する。

 

成瀬は天下を取りにいく・成瀬は信じた道をいく

 本屋大賞の成瀬シリーズ2冊。流行る本のひとつの特徴というか、日常のなかに刺さるものがあって読みやすい。都市と地方、百貨店閉店やコロナ禍など時事的な話題も盛り込みつつ、成瀬のキャラクターが強いのが、本書の面白さの理由だと思う。そのキャラクターが周囲の人物と交錯しながら様々な視点化描かれる。お笑いのコンテストに参加したり、観光大使として活躍したり、周囲から浮きながらも超然として、しかも周囲を巻き込んでゆく成瀬の姿は、現代のヒロインと言っても良い気がする。学校に馴染めなかったり、自分の居場所に悩む人へのエールにもなるかもしれない。その意味でも現代に求められる作品なのかなと思う。

 

読書日記 - 平野啓一郎「本心」

 

 小説はあまり読まないのだけど、読んでみたら面白い面白い。亡き家族や友人を蘇らせる(幽霊も含めて対話可能という意味で)物語自体は数えきれないほどあるけれど、この本が面白いのは、AI、高齢化、自由死、格差社会移民問題フレーミングといった現代的な問題がきれいに盛り込まれているところではないか……というのはつまらぬメタ的な感想。結局のところは「心とは何か」「私たちはどう生きるか」という問いに突き当たる。

 でも、三好とイフィーの最後はどうなのかなぁ。トラウマが強固で有り得ないと思っていたら、そうでも無かった。朔也は信頼する人の息子で、経緯からしても例外的だとしよう。となると、「そっちに行くかねぇ?」というのが一読した現時点での感想。イフィーの立ち直りの早さも、なんだか表情の変化が早すぎてAIみたいだなと思ったり。私も「本心」を探りながら読んでしまった。朔也もそれでいいのか? 恋愛においては他者の心に土足で踏み込まなければならない瞬間があるのでは、などと浅はかな誤読、浅はかな理想論をこねくり回してしまう愚かな私。もう少しちゃんと読み込みたい。

 メッセージは「最愛の人の他者性と向き合うあなたの人間としての誠実さを、僕は信じます (p. 441)」というセリフに尽きる気がする。最愛の人ですら、知らないことは山ほどある。多角的に情報を補足して統語論的に「本心」を浮かび上がらせようとする試みは拍子抜けするほど間抜けな結果に終わる。けれど、その足跡自体が、最愛の人の他者性と向き合っているということに、結果的にはなっていた……、ということなのかな、と思った。

 

本心

本心

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読書日記 - アンドリュー・シャルトマン「『スーパーマリオブラザーズ』の音楽革命」

 2023年、「スーパーマリオブラザーズ(以下、マリオ)」の"あのテーマ"に切り込んでくれる本がようやく現れた。マリオの"あのテーマ"だけで一冊の本にしてしまうのだから、贅沢というしかない。

 著者のシャルトマンは、マリオがゲームに革命を起こしたと言うだけではなく、その音楽もゲーム音楽の歴史を変える革命的なものであったと考えている。私たちはその音楽自体はいつでも口ずさむことが出来るほど親しんでいるのだが、本書を読むと改めてハッとする。

 有名な「地上BGM」の冒頭からして、言われてみれば確かに簡素化された9の和音だ。これはおしゃれな和音……不協和音で、近現代のクラシックやジャズを連想する。イントロが終わると有名なテーマが現れるが、実は異なるリズムが複雑に重なっていて、何とも言えない躍動感が生まれている(これは、没にした曲のパーカッションをたまたま持ってきたらしい)。あるいは、音程の平行移動や、緊張と緩和の対比など、ひとつひとつはシンプルでありながら、それらが綿密に積み重ねられることによって世界観の表現がなされている。

 これらはプレイヤーをゲーム世界に引き込むための音楽的な仕掛けだ。コミカルな「プレイヤーダウン(穴に落ちたときなどの曲)」やどこか安らぎを覚える「ゲームオーバー」も、「もうダメだぁ」ではなく、「また遊んでね」というメッセージである。そうしてあの地上BGMに戻ってゆく。

 マリオの音楽は、その全てが連関した一つの作品として構成されている点で、アルバムと言った方が良い。それらは、個々の単なるBGMであることを超えて、プレイヤーの心理や身体性と結びつくように作られている。あの時代、わずかな容量の中で、コンセプトを徹底的に追求した創造的な作品なのだなあと感嘆する。

 ここで一つ面白いのは、技術的な制約が創造性をもたらした側面もあったということだ。今でこそフルのオーケストラを用いることが出来るけれど、当時はたった三和音とノイズしか無かった。そのなかで、いかにプレイヤーを引きつける音楽を生み出すか。形式、メロディ、パート、リズム、あらゆる要素を限界まで駆使して、誰もが知るあの音楽を作り上げた。そのことは、むしろ制約が取り払われた今の時代にこそ、大切なことを教えてくれるような気がする。そんな小難しい話を抜きにしても、クラシックの研究者がマリオの”あの曲”を語る、というだけで面白いから、間違いなくおすすめの一冊だ。