もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

はてなブログで新しいウィンドウ(タブ)で開くリンク+アイコンを追加してみた(けど戻した)

 「新しいウィンドウ(というよりタブ)を開く」ことが分かるようにするため、アイコンが追加されるようにしてみました(実例は右)けど一通り満足したので戻しました(笑)。アイコンはFontAwesomeというフォントを使用しています。この導入にちょっと手こずりました。戸惑ったのは以下の2点。

  • FontAwesomeのバージョンアップにともない、font-familyが"FontAwesome"から"Font Awesome 5 Free"になっていたこと。
  • FontAwesomeの数種類のスタイルのうち、使用したいものに応じて個別のfont-weightを指定する必要があること。
font-weight: 900; /* Solid */
font-weight: 400; /* Regular or Brands */
font-weight: 300; /* Light */

 そのほか、FontAwesomeのサイトからユニコードを直接コピペする場合は、先頭に"\"を追加しないと表示されません。そもそもタグで呼び出した方がトラブルは少ないのだけど、擬似クラスを使って表示させたかったので公式の解説を参照しました CSS Pseudo-Elements | Font Awesome

 はてなブログ内でよそのサイトへのリンクに勝手にtarget="_blank"を指定してくれるようにする方法はこちら。JQueryでやってくれます。
リンク先を別ウィンドウで開く
markdown記法でリンクをtarget="_blank"にする - エンジニアをリングする

 リンク先の方々に感謝します。

 ただ、そもそも論として、リンクを新しいタブで開く指定が必要なのかという疑問はあります。「あらかじめ新しいウィンドウ(タブ)で開くようにしておくよりも、新しいウィンドウ(タブ)で開きたい人が自由に選べる方がユーザビリティ上望ましいのでは?」とも思うのです(教えてえらい人)。私は昔、「よそのサイトは新しいウィンドウ!」と思っていたのですが、いつの間にかそうでもなくなっていたんですね。といいつつも導入してみたのは、やってみたかったからです(笑)

更新 - 旧ブログから記事を移転

 Bloggerに残していた過去のブログから記事をすべて持ってきました。とはいえただ単に移しただけの状態なので、見やすいように少しずつ手入れしてゆくつもりです。

 じつはBloggerからはてなブログへ記事を移転するのは一筋縄では行きません。形式が違うため、インポートが出来ないのです。コンバータもあるのですが、コンバータのためだけにPythonを使える環境を整えるというのも、正直ちょっと面倒……。ですが、今回FC2ブログを経由する方法があるとの記事を読んだので、早速活用しました。ありがたや。

今日の夢

 電車に乗っている。西武線。駅に着いてホームに出ると、そこは近郊の住宅地らしい。曲がりくねった道を歩いている。学生時代に受講していたK先生が居たので追うかたちで進む。エスカレーターを上り、ショッピングモールのプロムナードを歩く。やわらかな雨が降り出したところでK先生に追いつき、一言二言話す。さらに進んでいると、後ろから子どもに追い越される。わたしはその子どもを追いかけていった。

 浜辺に居る。人の3倍くらいの高さの、石で出来た台がある。見附の石垣を思わせる。石のすき間に手を入れ足をかけ、上ってゆく。頂上はどうだろうかと思ってようやく顔を出すと、ハトがずらりと並んでいる。「これはいい、こっそり撮影しなきゃ」と思って、石垣を上っている途中にもかかわらず、ポシェットをまさぐってカメラを用意する。さあ撮ろうと思ってカメラを構えるが、白いハトと灰色のハトだけしか居なかった。石垣に上がると、ハコフグのようなサメが居て、ロケット花火のように海に飛び出していった。そんなサメがいるのかと驚き、誰かに知らせようと思った。こわいと思いながらふたたび石垣に手をかけ足をかけながら降り、近くにいた誰かにサメのことを知らせた。

 そこから旅館に居て、なぜか修学旅行らしいことに気がつく。先生が「そろそろ小田原の宿に行く」というので、ほかの生徒はその宿を去っていった。わたしは何を思ってか宿に残った。廊下からはさきほどいた海辺が見える。廊下から広間らしき和室に入り、その向こうの障子を開けると、なぜか薄暗いカフェスペースになっていて、いろいろな客が談笑している。「学生がうるさいから仕切っていたのだろう」と思った。廊下に戻り進むと、奥まったところにもかかわらずフロントがあった(右へ行くと客室、左へ行くとホール、正面にはフロントとトイレ、手前は今いた廊下がある)。支配人らしき人物に尋ねると、やはり学生がくるあいだだけ仕切っていたらしい。なぜか支配人に滞在の許可を得て、旅館の中を案内してもらう。客室へ行こうとすると、先ほどいた廊下に巨大なゴキブリが居る。全長30cmほどか。客室を案内してもらいつつ、「ゴキブリはまずいのでは」などとやり取りする。支配人に「わたしもホテルに勤務した経験があるんですが、一部サービスを除いて、客室サービスは18時で終わりなのですが、ときには19時になることもありましたね」と言った。支配人は「ええ、まさに」と言っていた。

老後を思う

 高齢者がレジでもたつくことにイライラするという話を聞いた。

 わたしは、それ自体は仕方がないと思う。年をとれば判断が遅くなる。動作も遅くなる。いずれ自分もそうなるだろう。

 けれども、ただでさえ遅い会計をさらに遅くなるような、さまざまな注文をつけたりするのはいかがなものかと思う。世代なのか、「お客様は神様」と思っている人が少なくない印象があるのだけど、なににもまして影響を与えているのは思考力の低下ではないかと思う。

 例えば、老夫婦が「会計を分けてくれ」と言って、カゴのなかをごそごそあさり出す。「これはおじいさんの、これはわたしの……」というのをレジでやる。だったら最初から二人別々にカゴに入れてほしい。百歩譲ってそれはいいとしよう。つぎは、二人で小銭を融通し合い始める。一人でさえ判断に手間取るであろう小銭を、二人で足し引きでいくらだなんだとやっているからなおさら時間がかかる。

 きっと思考力があれば、最初から別々のカゴで別々に買い物をするだろう。もちろん一緒のカゴに入れざるを得ない事情を考えることはできるが、その場合だってカゴのなかで分けておくとか、スムーズに会計が出来るようにしておけばよいことではないか。にもかかわらずレジの瞬間にあたふたし始めるのは、買い物の時点でレジのときのことまで考えが回っていないと言わざるを得ない。レジの瞬間に、会計を分けることを思い出して、急にそれをやろうとする。まして小銭を融通することで後ろに迷惑がかかるなどとは考える余裕もない。

 もちろん世のお年寄りすべてがそうだと言うわけではない。けれど、老化というのは動作が遅くなるというような肉体の老いだけでなく、知能的にも確実に老いてゆくということ。さらに言えば、社会的に孤立して生活する傾向が深まるこの時代の若者が老人となったとき、わたしも含めてどんな老人になるのだろうかと思う。

 いまコミュニティを作っておかなければ……と、言いようのない焦りを感じる。コミュニティ、それも、サードプレイスとなるもの。けれど、それに相当するものをわたしはあまり思い描けずに居る。