もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

老後を思う

 高齢者がレジでもたつくことにイライラするという話を聞いた。

 わたしは、それ自体は仕方がないと思う。年をとれば判断が遅くなる。動作も遅くなる。いずれ自分もそうなるだろう。

 けれども、ただでさえ遅い会計をさらに遅くなるような、さまざまな注文をつけたりするのはいかがなものかと思う。世代なのか、「お客様は神様」と思っている人が少なくない印象があるのだけど、なににもまして影響を与えているのは思考力の低下ではないかと思う。

 例えば、老夫婦が「会計を分けてくれ」と言って、カゴのなかをごそごそあさり出す。「これはおじいさんの、これはわたしの……」というのをレジでやる。だったら最初から二人別々にカゴに入れてほしい。百歩譲ってそれはいいとしよう。つぎは、二人で小銭を融通し合い始める。一人でさえ判断に手間取るであろう小銭を、二人で足し引きでいくらだなんだとやっているからなおさら時間がかかる。

 きっと思考力があれば、最初から別々のカゴで別々に買い物をするだろう。もちろん一緒のカゴに入れざるを得ない事情を考えることはできるが、その場合だってカゴのなかで分けておくとか、スムーズに会計が出来るようにしておけばよいことではないか。にもかかわらずレジの瞬間にあたふたし始めるのは、買い物の時点でレジのときのことまで考えが回っていないと言わざるを得ない。レジの瞬間に、会計を分けることを思い出して、急にそれをやろうとする。まして小銭を融通することで後ろに迷惑がかかるなどとは考える余裕もない。

 もちろん世のお年寄りすべてがそうだと言うわけではない。けれど、老化というのは動作が遅くなるというような肉体の老いだけでなく、知能的にも確実に老いてゆくということ。さらに言えば、社会的に孤立して生活する傾向が深まるこの時代の若者が老人となったとき、わたしも含めてどんな老人になるのだろうかと思う。

 いまコミュニティを作っておかなければ……と、言いようのない焦りを感じる。コミュニティ、それも、サードプレイスとなるもの。けれど、それに相当するものをわたしはあまり思い描けずに居る。