もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

尊厳死:エルアナ・エングラーロさん

 もの知らずながら書きたいと思います。

 

 2009年2月9日、17年間植物状態にあったエルアーナ・エングラーロ (Eluana Englaro) という女性が息を引き取りました。

 1992年1月、雪の降る夜。パーティーの帰りだったエルアーナ(当時21歳)は交通事故で植物状態になります。

 父親ベッピオ・エングラーロは、娘の延命措置を停止するよう訴え続けてきました。回復の見込みの一切ない植物状態のままで生かされることを、娘は決して望んでいないと。

 10年近くの裁判のすえ、最高裁判所は娘の延命措置の停止を認める判決を認めました。しかしイタリアと言えばカトリックのおひざ元。自殺はもちろん尊厳死安楽死にも否定的な考え方が根強くあったことから、国を二分する議論になりました。

 例えば当時の首相ベルルスコーニ。保守層に基盤を持つ彼は、エルアーナの延命措置の停止に反対しました。最高裁の判決が出てからもエルアーナへの措置を阻止するよう働きかけていたそうです。それに対して当時のナポリターノ大統領は左派、裁判所の見解を無視するようなことはできないと言って署名を拒否するなど、政治的な対立もちらほら……。ヴァチカンも当然反対、詳しくは私には分かりませんが少なくとも舌鋒鋭く非難しています。

 2009年1月には、ウディネという街の病院が受け入れを表明、2月に搬送されますが、ここでも抗議や妨害が見られたそうです。
 そして2月9日19時35分(UTC+1)、エルアーナは息を引き取りました。

 エルアーナの死後、尊厳死に反対していた議員、カトリック教会、一部の世論は「エルアーナは殺された」「父親が殺した」などと厳しく非難しました。

 事実、エルアーナの父親ベッピオ・エングラーロと主治医は殺人罪として訴えられますが、検死によりエルアーナの脳損傷が不可逆的(回復する見込みがない)であることが確認されたため、無罪となりました。

 

 意識の無い我が子の延命措置を停止しようと決意した、ご両親の思いはどうだったか。そしてその決意のために10年以上裁判で戦い続ける覚悟はどれほどだったか。

 いろいろ考えてしまいます。

 そしてまた、世論、政治、教会、いろいろな人たちの対立を超えて、大論争を超えて、いま尊厳死法が施行されているイタリア。

 

 日本ではどうなのだろう、と考えてしまいました。

 

 「阿吽の呼吸」で安楽死が行われ、裁判所が見解を示したものの法整備はいまだ整っていない日本。
 医師は殺人罪で起訴されかねません。

 

 ドラマでも、コードブルーでDNR(蘇生措置拒否)オーダーの話が出ていたのを思い出します。

 DNRオーダーを遺族らに確認しないまま生命維持措置を停止したとして、戸田恵梨香さんが訴えられてしまいます。

 それで、「DNRは、翼くんを死なせるっていう書類なんです。なのにそんな書類にサインさせろって言うんですか。平気でそんなものにサインをさせる医者は、狂っていると私は思います!(うろ覚え)」みたいなことを言ってました。

 弁護士役の主張だと、DNRの同意書は病院の責任回避のための書類に過ぎない気もしてくるのですよね。なんだか、「その人がどのような終末を望むのか」という中味がすっぽ抜けている印象を強く受けました。

 当時そんなことは感じていたのですが、とくに問題意識も持たずすっぽかしてきました。それが、先日読んだ本でエルアナ・エングラーロさんの件が出ているのを見て、久しぶりにこんなことを思い出しました。

 でも、尊厳死に関しては、思ったより、話は進んでいないのかなぁ……と、ちょっと悲しくなりました。ちょっと調べてみたいですね。

参考