もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

わたしの日常世界

 この日記からわたしの世界を再構築しようとするとき、わたしの日常生活のほとんどは回転寿司と雑踏と電車で出来ていることになってしまう。ところが今日はそこにモスバーガーを加えて、これらのことを書いてみよう。過去記事をかえりみるほどこのブログの中身があるとは思わないけれど、わたしの世界の矮小さを自覚するにはまとめて書くのが一番いい。

回転寿司

  以前に書いたのは、声をかけて注文するかたちが当たり前だと思っていたのが、タッチパネル式になっていて驚いたという話。これはとても便利だったが、声をかけて注文するのも楽しかったなあ、と懐古もしてしまう。

 いまでは紙で注文するタイプの店も多いように思う。理由としては、注文での気恥ずかしさの解消、板前さんの負担軽減などが想像できる。だが紙という方法はどうなのかとも思う。これについてはまた考えてみたい。

雑踏

 人の居る場所で人を見ているのが好き。やることのない人間、そして人と触れ合うことに一抹の怖さを感じる人間の趣味だと思う。これについては一度書いたきり、空想でちょこっと書いてから書いていなかった。凡人がやることに追われると、生活にすき間が無くなってしまって、観察する心も忘れてしまう。心の栄養不足。味気ないことだ……。

電車

 モーツァルトが人生の大半を旅に費やしたというのなら、わたしは人生の大半を電車に費やしたと言ってもよいのかもしれない。なんと悲しいことか。通学、通勤、旅行などのありとあらゆる移動。そしてまた、わたしにとって本を読むのに快適な環境の一つが電車だった。白状すると、本を読んでいたら何駅も乗り過ごしていた、なんてことが数えきれないくらいある。なぜそれほど電車での読書が快適なのかも、考えてみたい。

モスバーガー

 もっともよく行くハンバーガー屋。けれど、先日行った店のお姉さんはなんだか笑顔の仮面を貼り付けたような違和感のある対応だった。これは悪いことではなく、自分の心を守るための防衛手段なのかもしれない(例えば、銀行のお姉さんでも冷たい人がいるとそう思う。やる気がないと言うより、心がすり減ってしまったのだろうなぁ、と感じることのほうが多いのだ)。であれば、わたしはレジというのは自動でよいではないかと思う。

 メリットとしては、平均的な会計時間の短縮(戸惑う客もいるとは思うのであくまでも平均)、注文の聞き間違いや釣り銭間違いの減少、外国語対応、スタッフの負担軽減あたりか。レジでの触れ合いは失われるかもしれないが、作業が減れば余裕ができる分別の部分で触れ合うことが可能になるだろう……と、素人的に楽観してみる。

 調べたら、やっと試験導入がはじまるとのこと。こんなのはずっと前から思ってたぞ、遅いぞ~!