もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「ピエール・リヴィエール」

07/02 : ミシェル・フーコー編著「ピエール・リヴィエール――殺人・狂気・エクリチュール

 この本の題材となる事件は1835年6月3日にさかのぼります。フランスのオーネーという田舎町で、ピエール・リヴィエールはナタを使って母・妹・弟を次々と殺害しました。近隣の人びとにも目撃されていましたが逃走し、森や海岸、ときには人のいる街まで歩きまわり、7月2日に捕まっています。11月12日に尊属殺人罪で死刑を言い渡されますが、翌1836年2月10日付で国王の恩赦により終身刑への減刑が認められます。3月7日にボーリュー重罪刑務所へ入所、1840年10月20日に所内で自殺を図り死亡しました。

 そして100年以上の時を経た1973年、フーコーとその門下生たちは、この知性ある狂気の物語とリヴィエールに関する資料を発見します。そして自伝を含めたそれらの資料を紹介するとともに、この事件を取り巻く法・医学・政治(王の恩赦)・社会(マス・コミ、家族システム)といった権力と彼の関係に注目するのです。

自伝

 まずはなんといってもその自伝が魅力的です。1813年の両親の結婚から始まり、父が母から受けた酷い仕打ちについてこれでもかと書きたてます。そして、それこそが事件の引き金になったのでした。(特に印象的だったのは、「夫が払うから」といってツケ払いで好き放題に買い物をしたり、子どもが死に際しているというときに督促状(自分の借金を父が支払うように求める書類)を突きつけて自分の主張をするという、恐ろしいほどの守銭奴ぶりです。自分の「権利」を死んでも手放さない!)
 私は母、妹、そして弟を大切にするという人の道をすっかり忘れてしまいました。私には父が狂犬か野蛮人の手にかかったようにみえました。これに対抗して私は武器をとらねばならなかったのです。 (p. 173)
 そして、自身が犯行に及んでから逃走し捕まる経緯を書きます。彼は犯行の直後に自分がしたことを認識しています。
ああ、なんてことだ。私は怪物だ、不幸な犠牲者たちよ。本当に私があんなことをやったのだろうか、いや、あれは夢だ、いやしかし、あれはまぎれもない事実だ、地獄よ、私の足もとで口を開け、大地よ、私を飲み込め、と。私は泣きじゃくり、地面を転げまわり、その場に突っ伏しました。 (p. 183)

分析

 後半の論考では、この自伝を含めた事件に関する資料をひもときながら、フーコーをはじめとする7人が異なる観点から考察しています。とくに「死刑を判決しながら減刑を王に嘆願したのはなぜか」という点(「情状酌量」)や、「なぜ情状酌量が適用されなかったのか」という点(「王殺し―親殺し」)は問題意識を共有しやすいところです。ほとんど同じ資料をもとにしながら司法と医学によって異なる言説が構築されてゆくことを明らかにした「ピエール・リヴィエール対比研究」も面白いと思います。