もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

書店の本棚を叩く男

 大きな本屋の4階で歴史の本を探していたら、ものすごい物音がした。

 何ごとかと音の出所をうかがうと、本棚を叩いている音らしい。力いっぱい本棚の側面を叩く音。

 これは危ない人だ。後回しにして移動しようと思ってこっそり逃げ出したところ、なんとドンッドンッという音がついてくる。

 いや待て自分よ、たまたま彼とわたしの行く方向が重なっているのかもしれない。ここは一つ試してみよう。そこでまったく縁のない医学専門書の本棚に逃げ込んだ。そうして全く分かるはずもない医学専門書を開き、本を読んでいるフリをする。行く方向が重なっているだけなら、その人はこの本棚を通り過ぎてゆくだろう。

 ところが音の出所たる男が姿を現した。禿げあがった小太りの中年男だった。白いワイシャツに不釣り合いな大きさのリュックサックが印象的だった。来ないでくれという願いもむなしく、嫌な予感のほうが的中してしまった。

 そこで恐怖のせいか、怒りが芽生え始めた。こちらは平和に過ごそうと、わたしはあなたに何ら干渉することはないと、互いに関わることなく互いの世界を生きようと、それまでわたしは思っていたのだ。にもかかわらずこの男はそれを平然と踏みにじり、医学専門書の本棚までついてきた。

 怒りにまかせて「何の用ですか」と問い返そうかとも思ったけれど、すぐにいつもの臆病な自分に戻った。人が少ないから何かが起きたら困る。そこでわたしは医学専門書を閉じ、人通りの多い通路に出ようと思い立った。しかし医学専門書コーナーはフロアの奥深くにある。廊下が異様に長く感じられる。男は本棚を力いっぱい叩きながらまだついてくる。

 ようやくエスカレーター前の平積みの山にたどり着いた。ここは人が最も多い。来るなら来いと腹をくくっていた。すると男は探しものでも見つけたかのように、一目散にエスカレーターに向かって走り出した。そうしてゆっくりと下の階へ移動したようだった。

 クマをやり過ごした登山者のように、わたしは背中いっぱいにびっしょりと汗をかいていた。