もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

まずい蕎麦

 「当店のそばは十割そばですので、まずはそばの風味を楽しむために、そのままお召し上がりください」と言うそば屋が美味しくなかった。私が美食家を気取りたいわけではなくて、誰でも分かるほどに風味が無かった。

 私がそんな店主だったら、恥ずかしくてたまらない。単にまずいだけでも職人としては恥ずかしいだろうと思うけれど、それを自信たっぷりにそのまま食べてくれとまで言い切るのだから、こんなに恥ずかしいことはない。

 私はそのそば屋を貶すつもりは全くない。むしろ私自身にとって強烈な教訓となった。こういう過信の落とし穴は常にあるのではないかと思うと、ゾッとした。職人でさえそうなのだから、凡人の私は尚更そういう過信に陥る恐れがある。

 謙虚さと自己批判の眼差しを持ち続けないと、その誇りはあっという間に傲慢へと姿を変える。そのことにどこかで気がつかなければ、裸の王様として街を歩き回ることにもなりかねない。

 自己批判を加え続けることは、厳しく険しい道のりかもしれないけれど、自分の心底好きなものであれば苦ではないかもしれない。本当に好きなものなら、それを改善したい、より優れたものを作りたい、と思うのは自然なことだ。

 けれど、そもそも好きなものを好きで居続けること自体が、実は難しいことなのかもしれない。単に飽きてしまうこともあるだろうし、生活がかかっていれば、好きだという純粋な思いを忘れてしまうかもしれない。そう考えると、熱意を持ち続けて人生をそれに捧げようとすること自体が、とても尊い営みのようにも思えてきた。

 まずいそばを食べ終え、鴨せいろ二千円は勉強代だと思って支払った。「お味はいかがでしたか」と聞かれて、「ああ、美味しかったですよ」というなんの中身もない嘘が自然と喉から出た。