もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

黄色いガム

 3つの味が入ったガムを買った。わたしはピンクと黄緑色のガムが好きでひたすらこの2種類のガムを食べていた。そして黄色だけが残った。これだけで何のガムかすぐに分かった人がいたとしたら、おそらくこのガムを食べているのだろう。そしてそのあなたは黄色のガムが好きだろうか。我こそは黄色のガムが一番好きだという方がいるのなら、わたしの黄色いガムをすべて差し上げよう。かわりに黄緑色かピンク色のガムを頂きたい。

 資源配分の最適化というのは、こういうところにもあるのではないだろうか。わたしは黄色いガムは要らないがそれ以外の2ついずれかが欲しい。逆に黄色いガムが欲しいが残り2つ両方かどちらかは要らないという人がいれば、両者ともに幸せになる。そんな人が存在するのか、存在するとしてこのガムを買うのかという現実的な課題を無視すれば、という無茶苦茶な前提が付くが。

 いくらか巨視的に見ればフードバンクなどの取り組みもあるけれど、日常の世界を見渡してみれば、そういう広い意味での無駄(ロス)というものはたくさんある。同じ料金だからとちゃんぽんを欲張って大盛りにしたせいで半分以上を残している女性の隣に、トレーニングを終えた貧乏な大学生が泣く泣くミニちゃんぽんで我慢してお腹を空かせているかもしれない(似たような光景を目にしたことがある。わたし自身が貧乏側の人間だったわけだが)。

 もしも、余剰というものを世のなかのすみずみまで拾い上げて完璧に分配したとしたら、世のなかはどれだけ豊かになるのだろうか。どうしても食糧の廃棄問題などと絡めて考えてしまいたくなる。

 ……結局、わたしは黄色いガムを一切食べないので、そっくりそのまま「みんなで食べてね」と渡してしまった。要らないものを譲る。なんら善意的な行為ではないが、それでも喜ばれるものらしい。