もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

電車のカーテンについて

 おしゃれぶったデザイン。見た目はよいけれど使いづらい、そんなデザイン。電車のカーテンでそんなものを見つけてしまった。一番見かける従来のタイプでは、つねにカーテンには引き上がる力がかかっていて、それをレールの引っかかりに固定する。一方で新しいデザイン(といってもここ10年くらいの話だろうか)のほうはそんな原始的な方法をとらない。スッと引っ張り、手を止めるとカーテンがそこで止まる。そして少し下に引いて手を離すとスルスルと上まで戻ってゆく。要はレール付きのロールスクリーンとでも言おうか。「これぞスマートだ」と言わんばかりだ。

 なぜわたしはこのオシャレなスクリーンにブー垂れているのか。新しいものにケチをつけたいだけの、古臭い人間に成り果ててしまったのか。そうではないと信じたい。わたしが不満を持つのは、ひとえに「スッと引っ張り手を止めるとカーテンがそこで止まる」という基本的機能をまったく果たしていないからである。要するに肝心かなめの機能がバカになっていて、「オシャレだけど役立たず状態」のものがそのままにされているのだ。一切固定できない。どこで止めようと思ってもカーテンは勝手に上へあがってゆく。わたしだけではない。この猛烈な日差しをなんとかやわらげて本を読んだりスマホをしたいと願う人びとが、何人もこのカーテンに挑戦した。だがカーテンを下すという偉業をなし得た人物は一人も現れなかった。

 そもそもを言えば、ほどよく止めると固定されるというのが面倒くさいのかもしれない。本当に「ほどよく」なのだ。早すぎると勢いで戻ってしまうから、そーっと止める。それが今話したようなバカになっているカーテン(バカカーテン)だったときの怒り。「そーっとやったのに、なんだよ、壊れてるじゃねーか!」と悪態づきたくもなる。

 結局、わたしは従来のレールの引っ掛かりに固定するタイプのカーテンが好きだ。引っかかりに入れば「これで大丈夫だ」というのが分かる。見て予測できる。バカカーテンは止まるまで分からない。この、ほんのわずかな違いがもたらす安心感を想像してみてほしい。デザインというのは見た目ももちろん大切だけれど、操作性だとか、使い方が一目でパッと分かるかとか、動作が予測可能かとか、そういういろいろな要素を含んだ使いやすさというものが大切なのではないかと思うのだけど、どうだろうか。

 蛇足だが、最近の電車はカーテンすらないものも少なくない。UVカットだかなんだか知らないが、まったく日ざしを遮れていないし、本を読もうにも日向と日陰でチラチラして読むどころではない。肌には優しいかもしれないが、本を読みたい人間には優しくない。

 そんなことを考えていた。