もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

モノを大切にしすぎて腐らせることについて

 わたしの父はハムスターもしくはカラスのような人で、とにかくものを溜めこむ。だがハムスターともカラスとも違って、貯蔵したものをそのままダメにする。これはまったく無意味すぎて笑いが出ることだ。(もしかしたらハムスターやカラスも、貯蔵したものをそのまま腐らせたりすることがあるのだろうか?)

 例えば、もらった(ちょっと高価な)生菓子を、大事そうに冷蔵庫の上に置いたまま一週間が経つ。生菓子だ。当然ダメになっているだろう。「あのお菓子は?」というと、冷蔵庫の上の奥の方から大切そうに箱を出す。案の定ダメになっている。

 なぜわたしが意地悪くも一週間もそれを指摘せずにいたかというと、その父の貯蔵癖は独占欲から来ているからだ。「自分のものとして頂いたものなのだから、家族にも周知させず、こっそり一人で食べよう」と考えている。ときおり「みんなで食べよう」と分け与えることもあるが、いざみんなで食べると「俺のものを食べた」と言う。みんな気分が良くないから誰も言いださなくなる。そして父は忘れたまま月日が流れてしまう。自業自得だ、というのがわたしの言い分だ。

 この器量の小ささは鍋や大皿料理のときにも発揮されていて、かならず父は「最後の一個」を残す。それまでさんざんがつがつと自分勝手に食べ散らかしたあげく、最後の一個は他人に譲る。子どもではないのだから、一人あたりこれくらい食べるよな、などと算段くらいつけてほしいものだ……。

 話が反れすぎた。生菓子に限らず、そうやって何度も何度も食べ物をダメにしてきた。紅茶缶がもっとも多い。白いカビの生えたフォションのアップルティー。ウーロン茶みたいな、別のまったく新しいお茶みたいな、不思議な香りを放っていた。これをもらったとき、父は「フォションだよ!」とさんざん自慢していたが、さすがにわたしでも買える品だし、腐らせればフォションもゴミ箱行きである。

 いや、ただの愚痴になってしまっていけない。ただわたしはこの父の一連の行動を面白く思っている。モノを大切にしすぎてダメにしてしまうというこの逆説的な結果。なんてジョークじみているのだろうか。そしてなぜそれに無自覚でいられるのだろうか、と、イヤミではなしに感動する。これはたぶん、根気強さや集中力(悪く言えばほかのことは盲目になる)という、父の素晴らしい部分と表裏一体でもある。そこに人間らしさを感じる。