もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ものの最期

 祖母が30年以上使ってきたガラスのミルクパンが壊れてしまった。祖母の家の台所で、なにかが足りない気がして気がついた。それで聞いてみると、落として割ってしまったのだという。ケガをしなくてよかった、と思った。

 このミルクパンは私よりもはるかに年上でちょっとした敬意のような気持ちを感じないでもなかった。新品は透き通ったべっこう色なのだが、長年の汚れでガラス自体が濁りきっていた。でも強度には何の問題も無かった。祖母はこれで煮物などをよく作っていたが、それを見ることも無くなったわけだ。

 また、我が家の20年以上使ってきた電子レンジも壊れてしまった。今のハイテクな電子レンジとは違って、時間を調節するつまみと、「あたため」「生もの解凍」ボタンしかなかった。20年以上のあいだ、さまざまな事故はあったが無事だった。1分で済むあんまんを蒸し時間と間違えて15分かけて部屋中煙まみれにしてからも10年以上は無事だった。そしてある日突然、冷凍食品を温めていたら、ふっと電源が落ちた。まだ時間ではないのに、どうしたのだろうと思った。つまみをひねってみたが、応答がない。どうやら壊れてしまったようだ。このような最期だった。

 ものはどんなに大切に使っていても、いつかは使えなくなってしまう。だが、人がものを使っているときにはものの最期のことなど考えもしない。そして、その最期というのは、極めてあっけないものだ。