もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

小さなブーメラン

 自分が年老いたときのためにブーメランを投げておこうと思う。

 年老いたわたしよ、くれぐれも過去の自慢話はしないことだ。若い人は、「今」のわたしの生きざまを見ている。立派に生きたのなら、若い人のほうからその自慢話について尋ねるだろう。過去の自慢話をしたところで、「今」のわたしが酷い体たらくならば、それは何の意味もない。それらは自慢とせず、必要なときに、必要な事実として明かせばよい。

 同様に、年を取ったということを誇らないことだ。人間年を重ねただけ進歩してゆくなど、楽観でしかない。年を取ったから人生や人の世が理解出来たなどと考えないことだ。若者に説教をしないことだ。思い上がらぬよう戒め、それまで得た知識や経験が自他に役立つようにすべきだろう。

 言葉を語るなら、飾らないことだ。自分をよく見せようとしないことだ。本心から出ていない言葉を、若者は見抜く。

 自分に自信が無いから、自分をよく見せようと虚飾をする。けれどその虚飾のために人びとの信望を損ねる。恥の上塗りでしかないのだから、せめて恥のまま上塗りすることなく黙っていればよい。若かりしわたしは、恥ずかしい人生であってもそれを自覚し開陳する老人のほうが格好いいだろうと考えた。

 老いは身体能力の低下のみならず知的能力の低下ももたらす。悲しいが当然の事実として受け入れなければいけない。諸事の判断に対し、自分の知的能力を疑い、限界を見極め、よくよく熟慮することを薦める。「自分は正しい」と思ったときから誤りが始まる。 

 自分の知ることすべて(知識や経験)について、それを絶対視してはならない。それらはすでに古いものとなっているかもしれない。

 他人を自己と同一視してはならない。老いは他者への想像力の低下をもたらす。孤独であればなおさらだ。自分と他人を分かつ隔たりを忘れず、人的要因と状況要因それぞれに注意を払うこと。

 自分の行動が他人からどう見えるか考えること。うるさいくしゃみは自分が思う以上に人を不快にするものだ。わたしが父親の嫌いなところを挙げると、かならず3位以内にはくしゃみに対する配慮の無さを挙げていたものだ。

 人とともに、平生笑顔で過ごすことが一番よいという。

 書き途中。