もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「最暗黒の東京」

 

08/31 : 松原岩五郎「最暗黒の東京」

筆者は最下層の人びとに混ざって一年以上生活を送り、その様子を描いています。最暗黒の世界に暮らす人びとは何を考え、どのように生きているのか。暗黒界に暮らす人びとの劣悪な生活環境、彼らの創意工夫、生活を懸けて客を奪い合う車夫、ひいてはそうした貧民たちをとりまく社会の姿が見えてきます。片方では富んだ人間が居り、片方では飢えに苦しむ人がいる。社会とはいったい何なのか。こうした問題意識はいまでも多くの人が共感できるものだと思います。また、車夫の食事として深川飯などが紹介されているのも興味深いです。(あまり暗黒暗黒いうのもよろしくないのでしょうが、語感がよいのでそのままにしました。以下、暗黒メモしてみます)

暗黒界の風景

冒頭の木賃宿(粗末な宿)の話から、描写に驚かされます。宿の部屋は20畳ほどの大きな座敷だけで、そこに5,6人の客が集まっています。宿に入った筆者の隣では、「煮しめたる如き着物」を着た年老いた飴売りの男が、悪臭を放ちながら着物に手を突っ込んで首や背中を掻いています。さらに夜になると労働者たちが帰ってきて、穴の開いた蚊帳のなかで10人以上が押し合うようにして眠る。蚊帳に穴が開いているから虫も入り放題、しらみなどの小さな虫も湧く。朝になってうがいをしようとすれば、ボロボロのたらいとぬるくなった濁り水しかない。
 飲食店もすごいもので、軒は朽ち柱は歪み、換気するための窓もないので厨房から上がる煤煙も湿気もそのままになっている。テーブルもほこりまみれで、壁もぼろぼろ。厨房は厨房で、片隅に置かれた野菜や魚のくずが悪臭を放ち店内に漂っている。下水は詰まり、台所にはすき間から雨水が入ってくる。従業員も汚らしい格好をしている(「味噌桶より這い出したるが如き給仕女」、ぞっとします!)。

暗黒界で暮らす人びと

貧民の住居に関する話は、読んでいて筆者の思い入れを感じた部分です。まず、訪れた貧民の住居をこのように書いています。
 土竈〔へっつい〕はあたかも癩病患者の頭〔かしら〕の如くに頽〔くず〕れ、釜の縁は古瓦の如くに欠け、膳には框〔ふち〕なく椀は悉く剝〔は〕げたるもの、擂鉢の欠たるもなお火鉢として使われ、土瓶のヒビキたるもなお膏貼〔こうやく〕して間に合わさる。かつ、その日常什器として使用さるる傘はいかなるものなるか、これその骸〔ほね〕に各種の巾〔きれ〕をハギ集めて僅かに開閉さるるものなり。その履物は如何、これ実に木の片〔きれ〕に縄、綴切〔つぎきれ〕、竹の皮等を綯〔よ〕りて僅かに足を繋ぐものなり。しかしてまた、夜具臥床〔ねどこ〕の類は如何、これまた実に彼らが生活の欠陥を表す好材料にして、神秘なる睡眠を取るべき彼〔か〕の布団は風呂敷、あるいは手拭〔てぬぐい〕の古物、または蝙蝠を剝〔は〕ぎたる傘の幌〔きれ〕などを覆うて才〔わず〕かに絮〔わた〕の散乱するを防ぐの丹精物なり。 (p. 26)
ぼろぼろのかまどを直し、お椀などもぼろぼろのまま使っている。物が無いなかで、傘や履物や布団といった必需品を代用している。そんな生活を「狂言染みた生活だ」と嘲笑する人もいるだろうとしつつ、筆者はさらにこう続けます。
 知らずや彼らの生活はスベテ「欠乏」といえる文字をもって代表され居るものなるを。彼ら既に万事欠乏の裡〔うち〕に生活す、いずくんぞ、その欠乏を満たすための経営なからんや。木片に縄を穿ちて履物となす、これ実に彼の欠乏を充たすの大経営にあらずや。土鍋のヒビカキたるに膏紙〔こうやく〕して物を煮る、これ実に彼の欠乏を満たすための惨憺なる心計にあらずや。世にミカエルアンジロまたは甚五郎左匠等が惨憺の意匠に製作〔でき〕たる彫刻を見て感ぜざるものは美術を知らざるものとなす。しかれども、貧者の事欠〔ことかけ〕道具を見てその意匠を思わず、単に不器用なる狂言道具としてこれを冷笑するは甚だ残忍なるものといわざるを得ず。 (p. 27)
彼らをあざ笑う人間は、貧民が欠乏のなかで生活しているということを知らない。貧民にとってまず重要なのは「ものを得る」ことではなく「欠乏を防ぐ」ことだということを知らない。世の人は、ミケランジェロや甚五郎が意匠を凝らして作ったものをみて何も感じない人間を「美術を知らない人間だ」というが、貧民の彼らが悩みぬき意匠を凝らしてつくったものを「不器用な狂言道具」だと嘲笑うのは残忍極まるとしか言いようがない――だからこそ、筆者は貧民の住居を見て「これまで見たことのない巧緻なる美術品を見た」と語っているわけですね。(というのは、僕が情熱的に読みすぎているのかもしれませんが)

暗黒商売

貧窟には残飯屋という商売があるといいます。筆者は残飯という言葉こそが貧民を形容するような言葉だといっています。残飯屋は、大学や兵営から買い取ったたくあんの切れ端、パンの屑、魚のあら、焦げ飯などを売り、貧民は桶やどんぶりを残飯屋に持って行って残飯を買う。呼び方も独自のものがあって、漬け物の切れ端は「株切(かぶきり)」、パンの切れ端は「土竈(へっつい)」、釜底のあざれた飯を洗い流したものは「アライ」、焦げ飯は「虎の皮」といった具合です。調理するとなれば薪なども買わねばなりませんから、調理された残飯は彼らの生活を支える重要な食品です。「我れ先にと笊、岡持を差し出(いだ)し、二銭ください、三銭おくれ、これに一貫目 (p. 38)」といった混雑も、当然のことなのですね。
 筆者はさらに、残飯を受け取って残飯屋へ運ぶという力仕事に従事するのですが、ここでも驚くべき話があります。残飯のない「飢饉」が続くことは、そのまま貧民の生命に関わってきます。そこで筆者は賄い方に頼み込み、「豕(ぶた)の食うべき餡殻と畠を肥すべく適当なる馬齢薯(じゃがたらいも)の屑」を受け取ります。腐敗して酸味を帯びた芋の餡に、洗い流した釜底の飯、絞った味噌汁のかす。「飢饉」に耐えかねた貧民たちは、筆者が残飯を持ち帰ってくるのを心待ちにしている。筆者はこれを売り物にしてよいかと悩んだのではないかと思いますが、事実それは貧民たちの食事となりました。筆者はこの体験についてこのように書いています。
 ああ、いかにこれが話説すべく奇態の事実でありしよ。予は予が心において残飯を売る事のそれが慥(たし)かに人命救助の一つであるべく、予をして小さき慈善家と思わせし 。しかるに、これが時としては腐れたる飯、饐(あざ)れたる味噌、即ち豕の食物および畠の食物をもって銭を取るべく不応為を犯すの余儀なき場合に陥入らしめたり (p. 44)
ほかにも、いろいろな職業が登場します。とくに「融通」の項目、損料布団を質屋に入れ、そこから罪過を重ねて膨大な借金を抱えてしまった人の話などは印象的です。

暗黒界に巣くう社会問題

ここまでかいつまんで書いてきたのは暗黒界(スラム街、貧民窟)の話ですが、筆者はその背後にある社会や経済への疑問を呈しています。たとえば、(筆者にいわせれば)残飯はもともと価値のないもの、時には海へ捨てることさえあるものなのに、利益を出すために商人と賄い方が手を組むことによって、貧民がより高値で残飯を買うことになる。商人が介入することで、価値のなかったものに値段がついてしまう。
 既に商人なるもの、その間に入って有無を通ずるに至れば、あたら天物は世に暴殄されざるも、この貧民は常に飢えざるを得ず。ああ恐るべき哉経済の原理、翅なくして飛び、足なくして探り、ついにこの暗黒界にむぐり込み、この残飯たる乞食めしの間を周旋するに到らんとは。 (p. 49)
貧民街でもっとも多くみかける車夫(車夫は貧民の職業とされていたのでしょうか)についても、車夫たちの様子を生き生きと描き出す一方で、このような問題を投げかけています。
 現今府下に営業人力車の数は六万台にして、その内二万は順番の休息者として控え、余(あと)の四万台は悉皆外出して運動するとの実算なれば、車夫一人の日計二十五銭に内算しても、彼らの労働者が日に一万円の賃銀を得ざる事には尋常に生活する能わざるなり。 (p. 125)
つまり……4万台が実際に仕事をし営業しているなら、車夫たち全体で1万円という賃金を受け取っていなければ彼らは生活できないであろう。東京という大都会は1万円という賃金を車夫たちに支払うことが出来るのか……という問いです。やせ細りぼろぼろになった老人(60歳ぐらいだと思いますが)を「安いから」といって利用するのは「壮年血気の健脚者」。警察が取り締まれば老人は営業できなくなり生活ができないから、そうした取り締まりをかいくぐりながらひそかに営業を続ける。「世間の事態逆倒(さかさま)なるが如し (p. 124)」とは、この本を貫く大きなテーマではないでしょうか。
 「では車夫を減らせばよいではないか」と考えたくなる一方で、車夫が失業者を吸収していると考えることもできるかもしれません。顧客を奪い合い喧嘩をするような車夫の背後にこういう問題があると考えると、この本で書かれていることは(紹介文に反して)ユーモラスとは感じられない重みがあるように思います(もちろん、「文久的飴売」や「老婆的慣用語」など、面白い書き方をしているところもあるのですが)。