もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「話がこじれたときの会話術」

04/21 : J. ウィンズレイド, G. モンク「話がこじれたときの会話術」

 ナラティヴの実践原理として、対立の物語には常に複数の物語があるという想定を持って取り組むとよい。当然、双方の(または2グループ以上の)当事者たちは常に、起こったことについて異なる物語を持っている。彼らの説明には、異なる事実が抽出され、異なる箇所で強調されてアレンジされ、順序も変えられた出来事が語られる (p. 30)
 人は時として、ともに争いを望んでいないにもかかわらず対立関係に陥ってしまうことがあります。そこには、彼らがある問題についてそれぞれ思い描いている対立の「物語(ナラティヴ)」があり、その背後にはその物語を構築する文化的な圧力があります。 ナラティヴ・メディエーションは、対立する彼らの調停者として、対立の背後にある文化的な圧力に注目し、対立の物語とはべつの物語を構築します。それによって、相手への理解や共感、敬意を再確認し、対立の原因となっている問題を解決するための足掛かりを用意するのです。

ナラティヴ・メディエーション

 ある問題をめぐって人びとが対立するとき、当事者たちは原因という事実を探し、その対立を認識しようとします。しかしナラティヴ・メディエーションでは違う見方をします。人びとは、さまざまな事実を取り出し、強調し、一貫した物語をつくることで、物事を説明しているとみるのです。たとえば、尊大な専門家が正直者の素人を騙すという陳腐なプロット、Aは尊大な専門家で、Bは正直者の被害者などというような人物描写――こうした枠組みに当てはめて物語をつくることで、一貫した物語として現実を理解しようとします。 そして、この「物語」をつくりだす要因として、文化的な要因に注目しています。

 たとえば本書の1章では、医療ミスをめぐって対立する被害者と医療従事者の例が挙げられています。病院はしばしば安全性や信頼性の高さを強調し、みずから文化的な物語をつくり出します。その結果、人びとが認識している以上に(日常的に)医療ミスが起こっているという実態を覆い隠してしまいます。この文化的な圧力が、被害者や家族のみならず医療従事者に影響を与え、双方に苦悩を与えています。そこで調停者は、彼らがもつ別々の物語から、相互理解に至るための資源を引きだそうとします。

 そのための技法が、「二重傾聴」「対立の影響の外在化とマッピング」「協調の物語の構築」「相互理解の生成」です。「二重傾聴」によって当事者が物語に従って焦点を当てている文脈とは異なる文脈に傾聴し、対立関係(当事者から見た相手)と問題を切り離す「外在化」、外在化された”問題の原因”ではなく、”問題が当事者にもたらす影響”を共有する「マッピング」、対立の物語とは異なる「協調の物語の構築」といった手法によって、調停者は当事者間の「相互理解の生成」を実現しようとします。つまり、ナラティヴ・メディエーションとは、調停者として問題を客観的にとらえて判断を下すのではなく、むしろ当事者の「現実」を作り上げている要素を材料にして、新しい「現実」を作り上げる試みだといえるのかもしれません。
話がこじれたときの会話術: ナラティヴ・メディエーションのふだん使い