もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「不運な女」

01/31 : リチャード・ブローティガン「不運な女」

 さてと、わたしはいまこの本を書きおえようとしていることに気づく。これは根本的にはわたしが知っていることすべてについての本だ。それは見るにしのびないほどあからさまである。作家どもは悪名高い嘘つきだが、もしわたしを信用してもらえるなら、ここで断っておきたい。読みかえしてみて判明したのは、書くことを中断したわたしの居所と、あとは、ついつい横道にそれて、数多くの短い逸脱と苦々しいほどみっともない長い逸脱を繰り返したことだけだった。 (p. 141)
◆なんとも不思議な物語です。紹介文には「47歳の孤独な男が、死んだ女友だちの不運に寄り添いながら旅をする」とありますが、あまり不運に寄り添っているという感じはしませんし、それどころか肝心の「不運」についれは旅の各地で思い出したようにすこし述べているだけで、物語自体はだんだん話の本筋から外れて行きます。
◆そのことについては、語り手自身が物語の最後にこのように問いかけています。「なぜわたしはついにやってこなかった雷雨のことを書くのに時間を費やしたのか? その時間を使って、首吊り自殺をした女性についてもっと憐れみ深く思いやりをもって、掘り下げて考えることだってできたはずなのに (p. 144)」。語り手は「不運な女」たちについて描こうと努力をしたものの、その結果は「尻切れトンボの断片、きどったユーモア、くだらない術策」の集まった「いまいましいノート」の完成ということで終わってしまう。なんというはかなさ。

◆このことと関連して、印象に残ったのは以下の部分です。
 わたしがたったいましたように、あるときここを通りかかり、車からおりて死者のあいだを歩きまわって、かれらについて考え、かれらは何者だったのか、どんな人生を送ったのだろうかと思いを巡らしたって、なにもわかりやしない (p. 52)
◆語り手は旅の一環で日本人墓地を訪れますが、墓石は積み上げられ、姓名も生没年も分からないありさまでした。語り手は、「葬られる場所としては、陳腐で平々凡々としているその場所で、忘れられた墓石たちは……そして、それに対する語り手の追想はすべてのことの在りよう」とおなじだと述べています。陳腐で平凡なところに忘れられた墓石があって、それについて語り手が追想すること。決して成功することのないその追想に、著者はすべてのことの在りようをみているのだと思います。