もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「作曲の発想術」「まちモジ」「日本人はいつから働きすぎになったのか」

01/17 : 青島広志「作曲家の発想術」

 肺病で貧血を起こしている女主人公の、それをものともせずに歌うこと! 感極まるとベッドの上に立ち上がって『歓喜の歌』風の二重唱を歌うのだ。また、恋人の男も女も、彼女が歌うのを止めようともしないのである。それに比べれば、幕開きのパーティーのシーンで、それまで会ったこともない二人がぴったり合わせて歌う不思議さなど、物の数ではなかった (p. 180)
 さまざまな名曲はどのようにして生まれたのか。音楽はどのようにしてつくるのか。ごく簡単な分析や時代背景といった名曲案内から、作曲家の実際(とくに経済的に)までのぞくことのできる面白い本です。著者独特の言い回しが何とも面白い本です(引用のとおりです、笑)。◆第一章は著者自身が作曲家に至るまでの悲喜劇、第二章は管弦楽吹奏楽、ピアノや合唱といったさまざまなジャンルにおける有名な作品の紹介とごく簡単な分析、第三章は「結婚式に曲を作ってくれ」と頼まれた場合を想定して、(その気になれば)だれにでもできるような作曲方法を教えています。
 とくにおもしろかったのは、著者自身の生い立ちを描いた第一章です。音楽を教える人間に対するメッセージや音楽への考え、そして体験談が語られていてとても生き生きとしています。著者が幼少時代に頑張って書いた五線紙に、父親が醤油をこぼし、母親が天ぷらを載せてしまったとか、「石澤先生が、青島先生のところに行っていると下手になるからやめろって」などと言いだすホラ吹き娘に「うちの子に終楽章を弾かせたのは辞めろということでしょう」などと難癖をつける母とか。笑っちゃいました。
 そのほか、大切なアドバイスが要所要所に垣間見られます。初心者に教える場合は最高に丁寧に誘導すべきである(1章)、管弦楽への編曲は芯となる弦楽がきちんと出来ていればなんとかなる(3章)、などなど。

01/19 : 小林章「まちモジ」

 丸ゴシックが選ばれてきた理由は、遠目でも読めること、オフィシャルにみえること、そして手で書くときに効率が良いこと、の3つがバランスよくそろっていたからではないでしょうか (p. 55)
 見た目にもたのしい、世界中の街角でみられる文字のフォントについて教えてくれる本です。たとえば「とまれ (STOP)」の標識ひとつとっても国によってデザインが異なっています。
 とりわけ日本では、「とまれ」といった道路標識をはじめ、いたるところで丸ゴシック体が用いられています。たとえば、鉄道やバス停の駅名や車体の方向幕、銀行の看板などなど。中国などの漢字圏とくらべても、あきらかに角の丸い文字(丸ゴシック体など)が多いようです。
 なぜ日本では丸ゴシック体が用いられてきたのか。それは、描きやすさと見た目を両立した職人技に由来するものだったようです。他方で、なぜ他国(とくに漢字圏)では日本ほど丸い字体が用いられることはなかったのか、という疑問が残りました。はじめから手書きではなく、印刷(?)などの生産方式が確立されていたのでしょうか。
 ともあれ、額縁に収められることもなく、人によってつくられ、人に使われ摩耗してゆくデザイン。デジタルフォントを製作する著者がそんな「まちモジ」に愛着を示す気持ちが少しだけ分かった気がしました。

01/23 : 礫川全次「日本人はいつから働きすぎになったのか」

 ウェーバーのいう「資本主義の精神」を支えていたのは、カルヴィニズムという非合理的な「宗教」であった。同様に、江戸期における日本人の「勤勉性」を支えていたのも、浄土真宗という「非合理的な宗教」であった。明治期においては、日本人の勤勉性を支えるものは、ある面においては「修身」というイデオロギー教育であり、また他の面においては、「生存競争」という現実であった。それらを支えていたのは、いずれも「非合理的」なものであった (p. 241)
 日本人の「勤勉」という価値観の源流をたどり、その帰結として人びとが「自発的に」「勤勉であること」を強いられている(自発的隷従)現代に至る過程を論じている本です。そこには、思想、為政、企業、さまざまな立場から勤勉であることが価値観として求められ、そのなかでつねに変容してゆく人びとの様子が描かれています。その結論は引用部分のとおり、宗教や思想、為政のためのイデオロギーや生活の必要性といった「非合理的」なものが「勤勉」を成立させていたというものです。
 よくよく考えてみれば、日本人は勤勉だと一般的には言われてきましたが、その価値観がどのように成立したかということを考えることはあまりありません。まして、「働きすぎ」によって死に至るということを思想の歴史から考えるという視点もぼくは持っていませんでした。その点で、この本の投げかけているテーマは面白いと思いました。(ウェーバーを持ち出している部分で、すこし疑問点もあるのですが、これはぼくの勉強不足というかなんというか……)  この本は14の仮説から出来ており、それを見るだけでこの本の全貌が大体つかめるという、便利なつくりになっています。なので、ここに仮説を残して要約をサボることにします。

仮説

  • 仮説0. 人々を勤勉に駆り立てるものは、その社会、あるいはその時代のエートスである, 29.
  • 仮説1. 日本では、江戸の中ごろに、農民の一部が勤勉化するという傾向が生じた, 27.
  • 仮説2. 江戸期の日本では、すでに勤労のエートスを導くような文化が成立していた, 35.
  • 仮説3. 江戸時代の中末期、浄土真宗門徒の間には、すでに勤労のエートスが形成されていた, 91.
  • 仮説4. 日本人の勤勉性の形成にあたっては、武士における倫理規範が影響を及ぼしていた可能性がある, 105.
  • 仮説5. 明治20年代以降、少なからぬ日本人が、二宮尊徳の勤勉思想から、勤勉のエートスを学び、勤勉化していった, 137.
  • 仮説6. 浄土真宗門徒における勤労のエートスは、日本の近代化に積極的な役割を果した, 142.
  • 仮説7. 明治30年代に入ると、日本の農民の多くが勤勉化した, 149.
  • 仮説8. 大正時代の農村には、すでに、働きすぎる農民があらわれていた, 164.
  • 仮説9. 大正時代の農村には、なお、勤勉でない農民が残存していた, 164.
  • 仮説10. 戦時下、産業戦士と呼ばれていた労働者が置かれていた状況は、今日の労働者が置かれている状況と通ずるものがある, 191.
  • 仮説11. 日本人の勤勉性は、敗戦によって少しも失われなかった, 203.
  • 仮説12. 高度成長期に、日本人労働者は働きすぎるようになり、その傾向は、今日まで変化していない, 217.
  • 仮説13. 近年の過労死・過労死自殺問題には、日本人の勤勉性をめぐるすべての難問が集約されている, 225.
  • 仮説14. 日本人は、みずからの勤勉性を支えるものが何であるかについて、深く考えようとしない, 243.