もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「ブラウン神父の無心」

09/30 : G. K. チェスタトン「ブラウン神父の無心」

ジョン・ターンブル・アンガスは店のお嬢さんのところへ戻ったが、このあつかましい青年は、彼女と何とか楽しくやって行くだろう。しかし、ブラウン神父は星空の下で、雪の降り積もった丘を殺人犯と一緒に何時間も歩きまわった。二人が何を話し合ったかは、知るよしもない (「透明人間」, p. 161)
ブラウン神父はこの間に家に入り、死んだ男の妻に報せを伝えに行った。ふたたび外に出てきた時、神父は少し蒼ざめて、悲愴な顔をしていた。しかし、夫人との間にどんなやりとりがあったのかは、すべてが明らかになったあとも、明かされることはなかった (「間違った形」, p. 210)
人殺しにそういう光明を見つけるのが、私の仕事でしてね。それでは村へ下りて行って、風のように自由にご自分の道を進みなさい。わたしから言うことは、何もありません (「神の鉄槌」, p. 279)

◆この本は、創元推理文庫から1982年に出版された「ブラウン神父の童心http://booklog.jp/item/1/4488110010)」の新訳です。その出で立ちは無垢な子どものように、誰にでもすぐに騙されてしまいそうなブラウン神父。ところが神父は、鋭い観察眼と推理によって次々と難事件を解決してゆきます。なぜ無垢な神父が、世界中に名をとどろかせる大犯罪者をも出し抜く悪知恵をもっているのか。ブラウン神父シリーズ第一作にして、面白い傑作ぞろいだと思います。 

◆ぼくがブラウン神父シリーズの第一作目として注目したい点は2つありますが、第一に、宗教と理性が対立しないという著者(チェスタトン)の考え方が示されていることです。たとえば、この本の「青い十字架」で、大犯罪者フランボウは”人間の理性の上に素晴らしい宇宙、本当の理性の世界があるのだ”というような考え方を示していますが、それに対してブラウン神父は「教会のみが理性を真に至高なものにする」と反論します (pp. 31-32)。最初に読んだときは違和感を覚えたのですが、そこにこそブラウン神父の「無心 (innocence)」があり、シリーズをつうじて卓越した推理を見せる神父の秘密があるのだと思います。 

◆第二に、神父がおこなっているのは罪を裁くことではないということです。この大切なことに関する記述をいくつも見落としていました! それを上で引用してみました。とくに一番下の「神の鉄槌」での一言は、殺人者に残っている良心(自ら犯した罪の重圧に苦しみ続ける常人ではなく、罪に苦しむことのない狂人に濡れ衣をかぶせたこと)に訴えかける神父の考え方が良く分かる一文です。 ◆神父は罪の裁きを法の手に委ねるわけではなく、罪を犯した人自身に委ねます。事件が解決して終わりのように見えて、描かれていない部分にこそ神父の本質があるのではないでしょうか。それは人間の心に寄り添う神父の態度なのだと思いました。