もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「茗荷谷の猫」 『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』 「活字のサーカス」

05/29 : 木内昇茗荷谷の猫」 

――緒方の言う通りにしてみようか。分枝は、そう思った。また、内側に立ってみるのだ。「物語」には別段、嘘偽りはないのだから。信じられないけれど、現実にそれは起こったのだ (本書より「茗荷谷の猫」, p. 93)。
◆短編集なのだけど、読み進めるたびに全編がわずかに繋がっていることに気がつく。そこに共通して描かれるのは、人生をなんとなく過ごしながらも、みずからの「生」を確立しようと向き合った人たちの物語だ。あるいは自分の生を確立するために明るかった妻を失い、あるいは伝説の黒焼きによって世を救おうとするがことごとく挫折する(失礼だけど、この挫折っぷりがまた面白い)。けれど、世を救おうというその願いは、思わぬかたちで小さく叶う。この世界はなんと波乱に満ちているのだろう。

◆こう考えると、この本はこういえるかもしれない。生の確立と挫折をとおして、さくらを「めっける」ような、当人の意図のとうてい届かない波乱に満ちた世界と戦いながら生きる人びとと、波乱のなかでの不思議なつながりが描かれている、と。

◆読みながらいろいろと考えさせられる、ぼくにとってとても深みのある一冊でした。



06/16 : 鳥羽博道ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』

 それはひと言でいえば、企業哲学の違いに尽きる。儲かりそうだからやるのか、いっぱいのコーヒーを通じて安らぎと活力を提供したいと心から願ってやるのか。 [...] ただ単に形式だけをまねてやったものは感動、共感、共鳴を呼び起こすことなどできない (p. 113)。
◆タイトルどおり、ドトール創業者みずからドトールの歩みについて語っている一冊。ドトールにはしょっちゅうお世話になるので手に取ってみた(ただし愚痴を書くと、某なんとか馬場などのドトールは消しカスに遭遇することが多いので決して行かない。まあ、僕一人行かないところでなんてこともないに違いないが。また、同系列店のエクセルシオール・カフェも、なぜか忙しいノマドさんやうるさい客が多くて落ち着かない。ゆったり過ごせる店舗はないものか……と、余談が長くなってしまいました)。

◆人前で赤面してしまうほどだった著者は、持ち前の負けず嫌いな性格と、赤面してしまう自分にもできることをみつけて遂行する努力によってそれを克服してきた。あるいは、悪い印象と価格上昇によって、「喫茶店が人びとの手から離れてゆくこと」に対する危機感が著者の使命感となり、自分を克服する原動力になったのかもしれない。つねに顧客に目線をむける著者の姿勢は、昔から今までドトールの基礎になっているという。

◆著者の気迫を感じる一冊だった。よく年輩の方が「若者は気概が足りない」というけれど、この本を読めばそれも納得できる。なにせ、著者は「勝つか死ぬか」で生きてきたのだ。つねに競争に身をおいてきた著者の言葉は、競争を回避しようとする傾向があるといわれる若者にどのように伝わるのだろうか。



06/22 : 椎名誠 「活字のサーカス」 

 しかし、日常ふだんから人前で気軽に抱きあっているアメリカ人のそれふうのしぐさと違って、突如として白昼人前で抱きあう日本人というのは、なにか妙に意識的で重くて、ヘンに淫靡で猥褻で、見ていてひどく気分がわるい。まあ、早い話がおそろしくカッコ悪いのだ (本書より「ブキミな日本人」, p. 190)。
◆いろいろな本が登場するエッセイと言った方がいいかもしれない。この本をとおしてみえてくる著者の世界は、みずからを活字中毒者というように、活字と密接に結びついている。本を読んでそれを現実に結びつけているのではなく、現実にあることを描くうちに本が浮かんでくるのではないかと思う。この本のように、それを自然にできるのは、そうとうの読書家だと思う。これは知識量の差というよりも、本と対話することができるかどうかの差ではないか。


◆個人的に面白いと思ったのは「おせっかいニッポン」。たとえば日本では、ふつうの人がくぐるわけもない踏切にわざわざ「くぐるな」と書かざるを得ない(なぜなら、書かないと、クレームをつける”暇なおせっかい”がいるから)。いわれてみれば、わたしたちの身の回りに「分かりきった注意書き」の多いこと! このように、読書関連の本というよりは、ふつうにエッセイとして面白く読める。