もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「ネットのバカ」

 ネットがあるから多様な意見を知ることになった、という主張は嘘である。特に、自らフォローしたい相手を選べるツイッターは、心地よい情報だけを入れることが可能になった。だからそうして、彼らは、マスコミの偏向報道の歴史や、在日韓国人にまつわる噂やらを信じ、確証バイアスを強めていく (本書(Amazon), p. 194f)。
◆ネットへの過剰な期待に対して現実を呼びかけ、そのネットという場所がどんな場所なのか。ネット中身に踏み込んだ一冊です。

◆インターネットが当たり前の存在となった今、一方では、「インターネットが新しい社会を可能にする」というようなことがいわれています。そうした声によれば、ネットで自由に発言できるということは不正を告発できると言うことだし、多様な人間が参加するということはより活発で多様性のある議論が可能になるということ。自由と集合知、さらに平等、多様性、双方向性、ぱっと考えてみてもこうした言葉の数々はインターネットを称賛する文脈でよく見かけます。

◆ところが、この著者は「バカがネットを使おうとバカはバカ。ネットはバカと暇人のものだ」と言い放ちます。ネットは自由に見えて不自由で、平等に見えて大きな格差があって、多様にみえて偏りが進んでいる。◆そこには、寄付や助け合いといった前向きな可能性もあるけれど、ネットが何かを可能にするのだという期待をしてはいけない(自由に見えて不自由というのは、不特定多数を相手にするので、読者層を想定して”ここまでなら言っても大丈夫だろう”というような書き方ができないということです)。

◆引用したのは、先に書いた「多様に見えて偏りが進んでいる」という部分について書いてあるところです。ここでいう確証バイアスは「思い込み」と言いかえてもよいと思います。正しいと思ったものをひたすら正しいと思い込んでゆく。さらにいえば、それが人格と結びついているために、議論の際に(相手の話ではなく)相手自身を非難する厳しい言葉が飛び交う・・・というようなことになっているような気がします。この点で、ある種の信仰に近いものがあるような気がしなくもありません・・・。