もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

授乳の記憶

 今思えば悪いことをしたと思うが、子供の頃、授乳しているのを見てしまった記憶がある。4歳くらいか、初めて訪れた親戚の家で、何気なく探検していたときのことだ。団欒の居間を抜け出て、冷えきった廊下の先に曲がり階段を見つけた。子どもだった私が上らない訳がない。2階の部屋は母の従姉妹が使っていた部屋で、結婚して家を出て使っていなかったから、客を迎える部屋になっていた。

 当時の驚きを今でも覚えている。「見てはいけないものを見てしまった」と思ったのは覚えている。しかしその意味は分からなかった。幼かった私は「何してるの?」と言った。若い夫婦は少し驚きながら、赤ちゃんに母乳をあげているんだよ、と教えてくれた。それを見た私は、なにか神聖なことをしているのだな、と感じた。

 その親戚が誰だったのかは分からないし、あえて聞きもしてはいない。「あのとき母乳あげてたの誰だっけ?」と聞けば間違いなく分かるが、さすがにそこまで常識を捨てることはできない。祖母の末妹の家だったからその関係なのは間違いがないが、あれきり二度と会っていない。その子も私と同じくらいにはなっているだろう。それが彼か彼女かは分からないけれど、もしもその人と会うことがあったなら、「この人もかつて母親の母乳を吸っていた」という事実が、私に感慨と可笑しさを与えてくれるだろうと思う。

モスバーガーのクラフトコーラ

 モスバーガーのクラフトコーラを飲んだ。一般向けの生やさしいコカ・コーラとは違って、薬臭い本格的なコーラだ。これこそがコーラだと言う人もいるだろうが、間違いなく好き嫌いの分かれる味ではある。

 正直に言えば、私もあの独特の風味が嫌いだったのだ。あまりにも刺激が強すぎる。だから、私はこのクラフトコーラに対しても「ああ、薬臭いコーラか」と、最初はがっかりした。

 ところが、これをポテトやハンバーガーと組み合わせると一気に化けたのには驚いた。あの薬臭さがむしろ鮮烈に感じられる。油っぽさを押し流して、しかも嫌味なく爽やかな後味だけが残る。毒を以て毒を制すというわけではないが、あの薬臭さが組み合わせによってこれほど魅力的なものに化けるとは全く思わなかった。

 この体験に感動する一方で、私はそれがなんだか教訓めいているようにも感じられた。嫌いなものと好きなものを合わせると、天秤が「好き」に傾くことがあるのだ。最初にマイナスの印象を抱いたとしても、その「マイナス」が、組み合わせによっては唯一無二の価値を持つこともあるということだ。マイナスとプラスを組み合わせると、プラスとプラス以上になることがある。

 もちろんプラスとプラスを組み合わせても、例えばハンバーグと刺身をぐちゃぐちゃに混ぜたらまずいのは当たり前だが、ハンバーガーとオレンジジュースでは明らかにマイナスになる理由はない。けれども、ハンバーガーとクラフトコーラは、少なくとも私にとってはプラスと(かなりの)マイナスだった。しかしそれを組み合わせると、それはオレンジジュース以上のプラスになった。単体では強すぎるクセが、ハンバーガーに新しい味をもたらす魅力となるのだ。

 見方を変えれば、このクラフトコーラはポテトとハンバーガーによって完成する、というのが私の考えだ。薬臭さを苦手とする人がこの感動を得るためにわざわざクラフトコーラを頼む必要はないが、もし苦手な人があえてこのクラフトコーラに挑むなら、必ずハンバーガーとポテトをつけることをおすすめしたい。

 もちろんクラフトコーラ単体で好む人もいるに違いないが、私のなかでは、ポテトとハンバーガーの重さがクラフトコーラの刺激が組み合わさることで、全体として別々ではありえないうま味が完成されるのだと確信している。ジューシーな油のうま味と、爽やかな後味と、両者がそれぞれの個性を保持しながら、お互いの良い部分だけが残って、悪い部分は見事に打ち消される。願わくば、夫婦というのもこうありたいものだ…………などと感傷的に思わないでもない。

 こんなことを考えて、この組み合わせの素晴らしさに一人感動しながら、私は照り焼きチキンバーガーを貪っていた。

ある雨の日

 踵が異様に擦り減った靴を履いている。

 誰かが私を後ろから見れば、きっと馬鹿にするだろう。それも、本心から馬鹿にするのではなくて、一瞬見て鼻で笑うような、無関心な侮蔑。私だって、他人がこんなにすり減った靴を履いていたら馬鹿にする。目の前に、異様に斜めにすり減った靴を履いて、がに股で歩く人間がいるのだから。

 視線を感じるたびに、私は言い訳をしたくなってしまう。連日の雨で靴が間に合わなかったのだと。ローテーションが回らなかったために、泣く泣くこの靴を履いているのだと。そんなメッセージを他人に発しながら歩けたら、どんなによいことだろうか。――いや、そうしたら世の中はメッセージで溢れかえって窒息するに違いない。みな弁解したいことの一つや二つはあるだろう。バーコードハゲのおじさんは残された自分の髪の毛への愛情を語るかもしれないし、汗だくで電車に駆け込んできたお兄さんは自分がいかに切迫した状況であるかを語りたいかもしれない。

 世の中の道行く人がこれを見てくれたなら、一つ願いたい。靴が異様に擦り減った男を見ても、嘲笑うことなく、むしろ憐れみの眼差しで見てやってほしい。そうすれば私は、激しい雨の日にもあなたの靴と靴下がぐしょぐしょにならないよう、祈りを捧げよう。

ゲームと出会いの記憶

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

 振り返ると、インターネットの儚さを感じざるを得ない。かれこれ20年以上をインターネットとともに生きてきたが、始めたころの痕跡はもう残っていない。だから私の記憶の中にしかないのだが、もはやそれも薄れつつあり、細かな時系列もすっぽ抜けている。それでも、覚えている限りで私の思い出を、ばらばらにでも並べてみようと思う。

 かつてスーパー正男というゲームがあった。これは名前の通りマ○オのようなアクションゲームで、ステージやキャラクターを自作出来るのが大きな特徴だった。当時小学生だった私も、当時読んでいたゴルゴ13に刺激を受けて、黒いワイシャツに白いスーツを着た男が亀を踏んづけるゲームを作った。敵キャラクターまで作り込む根気はなかった。有志による製作支援ツールのおかげで、プログラミングの知識はまったく要らなかった。このカスタマイズの自由さと簡単さがあったから、とても多くの人が自分なりの「スーパー正男」を作っていた。今で言うまとめサイトのような、個人サイトを束ねるリンク集があって、正男同盟とか、正男ユニオンというのがあったと思う。88×31の小さなバナーをいかに工夫するかというので、色々なサイトがアニメーションを使ったり、陰影をつけてボタン風にしてみたり、いろいろなことをしていた。最近調べてみたら、小学生の頃に作ったアニメーションのバナーが出てきた。恥ずかしすぎて転げ回った。

 じゃが島興亡記というゲームもあった。戦車を操って戦うオンライン対戦ゲームで、しかも3Dで無料というので当時小学生だった私がハマらないわけがなかった。だが、私は戦闘をするのではなく、ユーザーをスクリーンショットで記録する「カメラマン」という謎の楽しみ方をしていた。戦闘ゲームで戦わないというので倒されても仕方がないのだが、不思議と戦闘を仕掛けてくる人は少なかった。このゲームは名前の横にメッセージを表示することが出来たので、私は少なからぬ人々の名前と言葉と姿を記録していたはずなのだが、すべてどこかに行ってしまった。最終的には、残念ながらチート(不正改造)が蔓延してユーザーが激減、私もまともに楽しめなくなってやめてしまった。

 遠乃剣豪伝というゲームもあった。もはやググっても出ない。幻術を使う果心居士のカラスがなんとも厄介だった。しかもセーブがなく、一度死ぬと最初からやり直しなのがきつかった。

 みっちゃん絵本。日テレあたりで連載されていたフラッシュ製の絵本的な物語。

 MSNゲームにもハマった。横スクロールで流れてくる食べ物を食べるゲーム。粽(ちまき)が出てきた。料理バトルゲームでは、フランス人とオムレツ対決、中国人と餃子対決、日本人と天ぷら対決だったと思う。かなりハマった。

 元祖たこ焼き屋。時間が進むと客が増えたり一人あたりの注文の量が増えてきて難しくなる。イライラしたら客をクリックするといい。客を引っぱたいてゲームオーバーになる(笑)

 ショックウェーブのゲームコーナー。示通りにタコスを作るTaco Joe や、Spy Hunter にはまった。3Dでカーチェイスを繰り広げるゲームもあって、途中警察から隠れなければならないのだが、英語が分からずひたすらゲームオーバーを繰り返していた。地球防衛バットや爆発五郎(うろ覚え)などもやった。

 ここにあげたのはごく一部だ。ググっても出ないか、多くないものを中心に選んでみた。

 私自身もスーパー正男のサイトを作りながら、当時はリンクをしたりされたり、掲示板に書き込んだり書き込まれたり、というかたちで交流をしていた。私のしょぼいサイトを、「ファンキーランド」のガプリンコさんにリンクして頂いたのは光栄すぎて転げ回るほど嬉しかったのだが、中学校の部活動が忙しくなってサイトを閉鎖してしまったのは非常にもったいなかった。しょぼいサイトにも、来てくれていた人がいたのに。

 交流するなかでクイズゲームを制作されていた方がMIDIシーケンサを作っておられて、そこからMIDIでの打ち込みが一気に本格的になった。私はいまだにそのシーケンサを使っている。

 もうひとつは、グランツーリスモというプレイステーションのゲームの個人サイトで、ひたすらチャットをしていたのも覚えている。遠い昔のことだから書いてしまうが、兵庫の吉光さん、山形のこっぺさん、忍足さん、茨城久慈浜のE30型M3さん、ビロードさん、議長さんという方などが居た。その方のなかでE30型M3さんから、BARギコっぽいONLINE というサイトの存在を教わったのが、もう15年ほど前のことだと思う。コレコレさんが配信していた。ギコやしぃと言った2ちゃんねるのキャラクターを操作して、チャットや音声配信ができるという、当時としては革新的なコンテンツだった。ここでも色々な人と話した。インターネット全体で言うと、SNSが流行り始める頃だろうか。

 Mixi は当初は紹介制だったと思うけれど、紹介してもらったのも現実の知り合いではなくこのネットの知り合いだった。「冷静に見えてじつは情熱的」と評してくれたのがとても嬉しかった。それから脱出ゲームのSNSや音楽系のSNS を始めるようになった。これも話すときりがない。

 まとめると、わたしとインターネットの話は、わたしと他人がつながってゆく過程だと言えると思う。最初は掲示板やチャットだったが、SNSが出来てからは趣味を通じて他人と交流することが格段に増えた。そしてさらに時が進むと、ゲームのなかでも見知らぬ他人と協力したり戦うことが当たり前のものになる。

 インターネットも、(そもそもは軍事技術から遡らなければならないけれども)かつては一部のマニア的な人間が楽しんでいたのだし、世間からもそう見られがちだったのだが、より簡単に、便利になることで、さまざまな人にとって当たり前のものとなってきた。そうして色々な人と出会う機会が増え、私の世界は広がっていった。そこに功罪があることは間違いないが*1、それでも私にとってインターネットは人生の少なからぬ部分に影響を与えた技術だったことは間違いがない。

 思えば随分いろいろとやり込んできたものだ。出会いも別れも多く、書ききれないほど色々なことをやってきた。しかしそれは、現実とのつながりの全くない、バーチャルでの出来事だ。現実に何かを生産したわけでもなければ、現実で友達が増えたわけでもない。今書いたゲームのほとんどがそうだが、消えてしまえばそれまでなのだ。それでも私は、現実に影響を与えないバーチャルというものにも心地よさを感じてきた。現実の知り合いには言いにくいことをバーチャルの仲間に相談したり、されたりすることがよくあった。不思議なほどにオフ会の話は出なかったのは、当時の年齢と地理的な制約もそうだけれども、皆がこの心地よさを感じて大切にしていたからでもあると思う。

 翻ると、今はネットと現実の境界が薄れている、ますます薄れているように感じている。わたしとインターネットの距離感も変わり続けている。これからもわたしとインターネットがどうなってゆくのか、楽しみでもある。

*1:罪というのは例えば、日ごろは相手にしないような、変な人も少なくなかった。

トイレのドアノックについて

 一度だけ、トイレ中に他人が入ってきたことがある。それも去年のことだ。お盆の時期で、小さな寺の境内は人をかき分けないと進めないほどに混雑していた。小さな寺だからトイレも一箇所しかないのだが、意外にトイレへ行く人は少ないようだった。

 それでぼんやりしていたのか、トイレに入った私はトイレがリフォームされていることに感動して、用を足しながらあたりを見回していた。そこに他人がガチャリとドアノブを回して入ってきた。

「あ、すみません」

 と私が言ったら相手は無言のまま、ゆっくりとドアを閉めて、その一瞬は終わった。さすがに見られていないよな、と、妙な安心感を抱いたのを覚えている。

 「あ、すみません」と言った私の声色もかなり間抜けだったが、相手がゆっくりとドアを閉めたのもなんとも間抜けなことだった。ショックのあまり固まるというのはこういうことを言うのだろうと思った。

 この体験は自分にとっては大変な出来事で、あの日のような真夏日になると必ず一度はこのことを思い出す。そしてこのことを思い出すと必ず、トイレでドアノックをしない輩への怒りがふつふつと湧いてくる。鍵をかけない私も悪かったが、いきなり入ってくるのもどうなんだ、と、責任転嫁的な思考を繰り返すのだ。

 トイレに入る前にドアノックをするのはごく一般的なマナーだろう。そうでなかったら、この世はガチャガチャとドアノブを回し放題の、ガチャガチャ天国である。

 そもそもの話をするなら、たいていの場合はドアノックも必要ないのだ。なぜなら現代のトイレは素晴らしいもので、外からでも他人が入っているかどうかは視認できるからだ。施錠されていればカギのところには赤色が表示され、施錠されていなければ青色が表示される。表示錠というそうだが、おなじみの鍵である。それでも、私のように施錠を忘れて用を足す人間がいるからこそ、鍵が開いていてもドアノックをする必要があるのだ。

 その点、ノックもせずにドアノブをガチャガチャと回す連中というのは、施錠されているかを確認もせず、施錠されていない場合にドアノックをすることもしない。ただひたすらに、自分の「ウンコをしたい」という欲求に突き動かされるままにドアノブを回す。

 では彼らがそうせざるを得ないほどに切羽詰まっているのかといえば、そうでもないことのほうが多いだろう。ただただ単純に、何も考えていない、というのが実際多いのではないだろうか(ひとつ彼らを擁護するとすれば、たしかに鍵のパネルは意図的に目線を落とす必要があったり、見えにくいこともある)。

 これと対照的なのが道路の信号機だ。トイレでノックもせずにドアノブを平然と回す人でも、赤信号に全く気づかずに渡るということはなかなかない。うっかり渡りそうになって引き返すか、意図的に渡るかのどちらかだ。全く気づかずに赤信号を渡りきる人というのはなかなか聞いたことがない。

 ならばトイレと信号は何が違うのか。トイレのドアに気を払わない人間も赤信号には気がつくのは何故なのか。まず赤信号を渡れば死ぬ可能性が高いのだし、横から車が接近してくれば音で気がつく。ではトイレもそうしよう。人が入っている状態でドアノブに触れると電気が走る。あらかじめ録音された猛烈な放屁音などで人がいることを警告する。こうすれば彼らも気がつくだろう。

 …………いや、それでも彼らは気がつかないかもしれない。