もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ツイッターを見て

 ツイッターでクリエイターのトラブルを見かけた。それは「無償で仕事をしろ」という類いの非常識な依頼で、残念ながらツイッターではどこかで毎日のように起きている話である。近年カスタマーハラスメントだとかクレーマーという言葉をよく聞くようになったが、彼らはカスタマー(顧客)ですらなく、またそれは不当な脅迫行為であるから、正確にはクレーム(苦情、改善要求)でもない。

 とはいえそれをあえてここで糾弾するつもりもないのだが、わざわざこの話を取り上げたのは、この一つの事件を見て、私は私自身の恥ずかしい記憶を思い出したからである。

 それは小学5年生のときだった。あるフラッシュゲームに没頭していた私は、その作者に「続編を作ってください!」というようなメールをした。それに対して作者のかたは予算を尋ねてきた。その返信に喜んだ私は、何も考えずに「1000円ぐらいで云々」と、当時にしては精一杯の丁寧さを込めてメールを送ったのである。

 「こうしたゲームの制作を依頼するならば、最低でも10万円はする」と返信を頂いて、当時の私は驚いて学習机のイスから転げ落ちるほどショックを受けた。1000円やそこらだと思っていた私に突き付けられた10万円という見積もりは、社会を知らなかった子どもの私を完膚なきまでに打ちのめした。そして、もう二度とこんなメールはしないと、心に決めたのだった。

 この思い出は今でも思い出すだけで恥ずかしいのだが、冒頭に述べたクレーマー(?)の、あの、あまりにも稚拙な思考、態度、傲慢さ、独善的な態度に、私はほんの少しだけ、あの頃の私の姿を思い出すのである。

 もっとも、それが若さゆえの愚かさによるものだったとしても、その行為は「若さ」で許される一線を越えてしまっている。まして大の大人であるならば、なおのこと過ちを改めることも無く、誤ったままの人生を、自分では正しいと思いながら生きてゆくのだろうから、それはなんとも救いのないことである。

 とにかく、顔の見えない世界ではなんとも難しいことばかりであるなあ、と感じながら、若き日の自分の愚かさを恥入る今日この頃である。

アニメ2020秋

 秋アニメが始まったので、視聴アニメのリストを更新した。夏アニメはそれほど見たいものは多くなかったけれど、のんびりと過ごしていた平凡な人間を突如襲ったコロナ禍のかつてない類いの忙しさに心身疲れてしまって、視聴する気力どころか好奇心そのものがほとんど死にかけていた。心身が少し回復したからか、次期はかなり多くの数が面白そうに見えている。が、自分にとって発見のある、本当に面白い作品となると激減するのは毎期同じことである。

dolce-sfogato.hatenablog.com

 

今日の夢

 大学で期末試験を受けている。いつの間にか試験は始まっていて、いつの間にか現れた答案用紙をめくって問題を解こうとするが、前にいる黒人の男性がこちら(後ろ)に寄りかかってきて邪魔をする。私は腹を立てながらこっそりと右側に移動する(当然試験中の移動は出来ないはずだが)。するとその前にも黒人がいて、邪魔をする。

 なぜか私は答案用紙を無くしていて、教卓に立つ女の先生に答案用紙をもらいにゆく。試験終了まであと20分程度。先生は「これをもってゆけ」と、透明なクリアファイルを渡した。なかには答案用紙と山吹色のテープの大学ノート。もってゆこうとすると「どれかひとつだよ」と注意される。

 席に戻り、答案用紙をめくる。問題は地理だったのか、地図があって時間やら距離やらですぐには解けない。くそっ、と思った時点で試験終了、促されて仕方なく、白紙の答案用紙を出した。

 

 都会の坂道をのぼっている。同じ方向に歩く人が一人ずつ減り、最後に残った一人と(なぜか)話すに同じ目的地だというから、一緒に歩いている。坂を上がりきるとアパートがある。崖地に建っていて、アパートの下と上から入ることが出来る。同伴していた人がトイレに行きたいと言い出すので、一室の呼び鈴を押し、事情を話してトイレを借りたところで目が覚めた。

 

(寝ぼけながら記す)

寿司で旅する

甘鯛 山口
イサキ 長崎
黒ムツ 長崎
天然ぶり 北海道
金目鯛 沖縄
あじ 京都
〆さば 神奈川(松輪)
ミンククジラ 北海道
玉子

 オススメにあるものを片っ端から頼んでみたが、一般にイサキの旬は夏、黒ムツは冬、ぶりは当然冬、あじは夏、と、旬をことごとく外すトンチンカンぶりをさらけ出す選択をしてしまったようだ。

 甘鯛は初めて食べたのだけど、単に甘いのではなくて淡白ながらも舌にとろりと残る後味まで含めた甘さで、これまでにない経験だった。単に味覚の瞬間的な刺激ではなくて、飲み込むまですべてを含めて「味わう」ことの楽しみを学んだ。甘鯛は若狭のものが有名らしい。

 金目鯛は沖縄に居るのはナンヨウキンメと言って、伊豆のほうで獲れるものとはまた違うらしい。品書きには単に「金目鯛」と書いてあったが、ナンヨウキンメのほうが身が白く、伊豆などのほうはより身が赤いらしい。言われてみれば身が白かった。以前に食べた伊豆のもののほうはほんのり赤色、断面には不思議な光沢があったような気がする。

 粋がりたいわけではないが、季節の移ろいを楽しむ一つの趣味として、にわか仕込みで魚(寿司)の勉強をするのも良いかもしれないな、と思う今日この頃である。と言うより、旬を知ってうまいものを食べたいだけである

 寿司で全国を旅するというのも、一興ではないだろうか?

「恐れ多くて使えない言葉」

 私には「恐れ多くて使えない言葉」というのがある。例えば学生時代に書いたレポートでも「論じる」とは書かずに「考える」とか「述べる」などと書いた。卒業論文も、それは「論文」ではなく「書きもの」にすぎないと、心の底から思っている。私にとって論文というのは、一つ一つの論を精緻に積み上げて作る、巨大かつ繊細な、未来永劫崩壊することのない建築物なのだ。それに引き換え自分のものは目方で作った素人建築である。建築物として形状を保っているとすれば、それ自体が奇蹟なのだった。「議論」も「話し合い」と呼ぶことのほうが多い。「ディスカッション」などとんでもないことだ。「会議」と言うのも本当は言いたくはないが、そういう名称なのでやむなく使っている。だいたい、私が「会議」と言ってまず想像するのは、御前会議であるとか、清須会議であるとか、とにかく国(領地)の行く末を二分するような重大な話し合いであり、そうでないにしても死活的に重大な決定が行われるものなのだった。私は「会議」をするような立派な人間ではない。

 そしていま、「随筆」や「エッセイ」というのも恐れ多い言葉の一つである。私は自分の書いたものを随筆やエッセイと呼んだことは一度たりとも無い。これは、学生時代に読んだ森茉莉さんの言葉を、今でも真に受けているのだ。すなわち、随筆とは、「一流の芸術家や学者、又は実業家なぞが、その深奥な考えや、知識の一端を、こぼすようにして軽く書くもの」であると*1。この言葉が胸の奥にずっと突き刺さっているのだ。

 文脈が違うといけないし、忘備も兼ねて文脈が分かるように引用しておく。

だが魔利は、自分の書く随筆がどんなに洒落た感じに出来上っても、かりにもエッセイとは言わない。昔、バルザックの、何だか分らない厚い本を買って来て、真中辺を明けて読むと、「Sucre」(砂糖)、「Tabac」(煙草)、「Caffé」(珈琲コオヒイ)、「L' eau de vie」(火酒)、「Alcool」(酒精)、の五項目に分けた、それぞれ短い文章があって、魔利はその時に深く感にたえ、「これがエッセイというものだろう」と信じこんだのである。だから自分にはエッセイなんていう偉いものは到底書けないと、思っている。もっとも魔利の書く随筆は「随筆」という名称には価しないのだそうだ。「随筆」というのは、一流の芸術家や学者、又は実業家なぞが、その深奥な考えや、知識の一端を、こぼすようにして軽く書くものだ、と言っている(「黒猫ジュリエット」)

  森茉莉さんの言葉としてたびたび思い出していたこの言葉だが、いざこの日記に引用しようと思ったらどこにあるかをすっかり忘れていて、久しぶりに「贅沢貧乏」を読み返した。この言葉は、「黒猫ジュリエット」のなかで、魔利の愛猫が見た魔利の言葉として書かれているものだった。やはりこれを書いているときの魔利の心中には「欧外」の「ペダンチズム」も確かにあったことであろうと、一ポンコツ読者は思う次第である。

 と、やたらに鍵かっこが多くなってしまったのは、鍵かっこに入れ込めないと、この恐れ多い言葉の数々を用いることが出来ないからである。鍵かっこに入れ込めることで、それが自分のものではないと宣言し、なんとか使うことを許していただくのである。しかし、いったい何に許していただくというのかと考えると、自分でも首をかしげてしまうのだった。

 

追記:そういえば「大学」というのも私には恐れ多い言葉で、必然性が無い場合はなるべく「学校」としか言わないのを今思い出した。

*1:もちろん、これは世間一般に向けた主張の類いではなく、私が勝手に真に受けて、勝手にそう思っているにすぎないことは念のために補足しておく。さらに言えばこのブログはほとんどすべてがその類いの独り言である。