もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

募金

 好奇心でビラを受け取ったら、まさか質問責めに遭うとは。

 駅前で支援団体がビラを配っていた。いったいどんな内容なのかと思って受け取ってみただけなのだが、これが第一の失敗。

 受け取って通り過ぎようとした途端、「ありがとうございます!!」と後ろから声が飛んだ。驚き振り向くと、職員なのか何なのか分からないご婦人がツカツカと歩み寄ってきた。

「募金はされていますか!?」

 すでに支援をしている人間がわざわざビラを受け取るだろうか……(ゆえに受け取る人は募金していないのが普通だろう)と思いながらも、私は下らない見栄を張って「ハイ」と答えてしまった。このしょうもないウソが第二の失敗。

 募金をしている善人と思われたい気持ちが隠せなかったか。うろたえながらも心のどこかで「いつだったか、どこぞの団体に、10円ぐらい寄付した気がする!」と自分を正当化したが、これは完全に記憶の捏造であった。

 私がハイと答えたとたん、ご婦人は目を輝かせてさらに詰め寄ってきた。

「どの団体にですか!?」

「…………」

「ほら、ユニセフさんとか、国境なき医師団さんとか!」

 墓穴を掘ったことを激しく後悔したが、もう遅い。私のイメージする「募金」とはコンビニのレジ横にあるような箱に入れるものだったが、目の前を見ればそこには募金箱すら無い。彼らの言う「募金」とは月額制の定期的な寄付を意味していた。

「……国境なき医師団ですかね」

「そうなんですね! Monthly で寄付なさっているんですか?」

「いや、そこで募金活動していましたから……」

 突如繰り出された Monthly の単語を聞き取れるはずもなく、頓珍漢な言い訳を繰り出した瞬間、ご婦人との間に微妙な空気が流れたのを感じた。それはそうだ。こうした団体は街頭での活動宣伝はするが、募金活動はしていないのだろう。つまり、あるはずがないことをしたと言い張る男が目の前に居るのだから。

 私は取り返しのつかない犯罪を犯した気分になって、とるものもとりあえず、坂道を転げ落ちるように、犯行現場から逃げ去るように、帰ってきた。私の手元にはティッシュでもなんでもない、最初からしわしわになっていた、一枚の紙切れだけが残った。

テレビのHDDをSSDにしてみた

要旨

 テレビのHDDが音を出し始めて壊れそうだったので、SSDに置き換えた。テレビ PANASONIC TH-L19X3 に BUFFALO SSD-PL1.9U3-BK/N をつなげたら上手く行った。

 まぁ、今更2011年製のテレビ(満足しているが安物ではある)にわざわざSSDをつけようという人なんて居ないだろうけれども……。

メリット

 メリットはいろいろあるけれど、静かになるのが大きい。夜中にHDDがデータを読み書きするときの音を聞かずに済む。かなりコンパクトになったのと、熱が出ないのもありがたい。

 価格的にもかなり安くなっているので、PCのついでに SSD への置き換えを進めている。

手順

 手順は簡単。旧HDDを取り外し設定して取り外し、つなげるだけ。

 再び見ることも想定して、設定→初期設定→接続機器関連設定から取り外しておく(変な外し方をすると二度と読み込めなくなったりする)。

 再び見ることが無ければ、接続機器関連設定から登録削除。

反省

 こうして一応は出来たけれど、心配な点はいくつかあった。それは、「そもそも対応しているのか」「前のHDDからデータを移せるか」「寿命はどうなのか」という点。

 対応しているかについては調べようがない(製造時にはSSD自体が無かった)のでダメ元でやってみたが、一応は出来た。

 データは移せなかった。ディーガを通せば出来るかもしれないけれど、そのためにだけレコーダーを買うのも。

 コピーコントロールCDもそうだったが、この手の、メーカーがとる権利者の利益保護のための対策というのは、結局利便性だけが下がっている気がしなくもない。悪いことをする人は難なくザルをすり抜け、普通に使おうとする一般人ばかりが網に引っかかる感。

 寿命については一番不安が残る。大容量のデータを頻繁に読み書きするから、その点がどうか。これから様子を見てゆくところ。

 2ヶ月ほど経った現時点ではなんともない。交換してよかった、と思っている。

練馬区立美術館ショパン展

 今更だけど、練馬区立美術館でショパン展を見てきた。6月14日と最終日28日で2回訪れた。このショパン展は、コロナ禍で時期は遅れたものの、兵庫、福岡ときてついに東京にきた。やはり見たかったのは練習曲ヘ長調 (op. 10-8) の自筆譜とシェフェールによるショパン肖像画。アリ・シェフェールと聞いてピンと来なくても、絵を見れば「ああ、これか!」となるくらい有名な肖像画

 せっかく行ったのでメモを読み返しつつ、思い出しながらメモしてみる。

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メディアスクラム

 このブログは本質的には罵詈雑言ブログである。もともとは、夜10時ごろにバイクが爆音を鳴らしながら自宅の前を通り過ぎたりすると、「うるせーっ、バカバイク! 迷惑行為の道具にされて、あんたのバイクも泣いてるよ!!」などと書き込むつもりで作った。というわけで、その本質に立ち返って、今日も罵詈雑言を漏らそうと思うわけである。

 わたしは、被害者遺族の取材をするマスコミというものがあまり好きではない。実名報道は別の論点としてさておいても、「メディアスクラム(報道者による被害者遺族の取り囲み)」など、明らかに遺族の感情を傷つけ、あまつさえ生活に支障を及ぼすケースもあった*1

 そこで思ったのが、そうしたえげつないまでの取材力は、ぜひ悪事を働く人間に発揮してほしいということである。例えば、被害者遺族などに取材するよりも、駆け込み乗車をした人間を取り囲んで、「無事に乗車されましたが、今のお気持ちはいかがですか!?」とか、「今の駆け込み乗車で後続列車にも5分の遅延が発生しましたが、ご感想をひと言!」とか、「2分後に次の電車が来ますが、なぜ待てなかったのでしょうか!?」という感じで取材してほしい。電車と言えば痴漢も迷惑行為なので、疑わしい段階で取り囲んで頂いて、「さっきから女性のカバンに手を当てて、今度は腕ですか、昨日も同じことをされていましたよね?」とか、「素敵な腕時計ですね、やっぱり自分が格好いいと思っているから、女性に近づくんですか?(女性リポーターが怒りを込めて)」という感じで、心をえぐって行ってほしいと思ったりする次第である。

 なぜこんなことを書くかと言うと、一つには単なる安っぽい正義感、悪を懲らしめたいという憂さ晴らしの空想であるが、もう一つには、こうした迷惑行為こそまさに、それを働く人間の感情と思考を知りたいと思うからでもある。被害者遺族の怒りや悲しみは想像することが出来るが(ただし、分かるということではない)、犯罪になるかならないかの小さな悪事を働く人間の心の内を聞く機会というのはなかなかない。それは既存の社会にまったく適合しない人間とは違い、それなりに善良で、社会に適合し、しかし少しばかり卑怯で自分本位なだけの存在かもしれないのだ。

 こういう、なかなか常人には出来ないことを探求してくれるアウトロー的人間として見ると、ある種救世主のようにも見えてくるのだが、実際には、善人の遺族を取材し傷つけている人がほとんど、真摯に向き合い丹念に取材をしようという人はわずかである、というのが実際の現状なのだろう。

*1:日本新聞協会が2020年6月11日に発表した「メディアスクラム防止のための申し合わせ」でも、座間9人殺人事件などが例示されている。

運動オンチの幸運

 中学校の体育の授業、サッカーの試合で、ガリガリ運動オンチの私が運動神経抜群の不良少年*1を出し抜けたことが、私の人生でもっとも幸運な瞬間だったのではないか、と今でも思っている。

 運動オンチの私が「早く終わってくれ」と願っていたあの時間。よりにもよって他クラスとの合同試合。隣のクラスには不良で運動神経抜群のS君が居た。ちなみにS君の姉は私の姉と同じクラスだったが、私とS君はまったく接点が無かった。私にとっては「姉の同級生のSさんの弟のS君」という認識だった。S君は不良グループの一人だったと思うが、浅黒く日焼けしていて運動神経も良かった。

 あの当時の私は、とにかくサッカー部員にボールを回す職務を全うし、チームからの批判なく無事にこの試合を終えることだけを考えていた。敗因になったことを責められ続けるような陰湿なクラスではなかったが、足手まとい、役立たずと人格批判を受けるのはつらいものがあったからだ。

 記憶にあるのはほんの一瞬のこと。ボールが来て、右足で受けた。前方からS君が走ってきて、進路を阻む。「ボールを回さなきゃ!」と焦った私は、ボールに右足をかけようとしたのだけど、その足がボールの真上で盛大に滑って、足をかけたままボールがぐるりと輪を描いた。足首をひねるところだったが、この奇跡的なフェイントに、S君が「うまっ……!」と呟いたのが忘れられない。がら空きになった左側前方、チームメイトに向かって、情けない体勢で必死にボールを蹴った。あれは、私が唯一サッカーの時間で活躍した思い出だった。

 バスケットボールの時間でも一回だけあった。同じチームの不良の子が「パス!」と言うのを無視して、3ポイントラインの外側からシュートを放った(これがいかに罪深い行為で、どれだけ重大な決心が要るかは、今の男子中学生(特にまじめ系)にも伝わるのだろうか)。

 だが私はそのシュートを2回だけ打って、2回とも決めた。不良の子2人が「すげえ」と言ってくれた。試合待ちで見学していたサッカー部員のO君が、他の子と話しながら「シュートうまいんだよ」と言ってくれた。O君とはその前日に児童館で遊んでいて、そのときもバスケをした。いわばスクールカースト最上位のO君(それぐらいイケていたということ)がそう言ってくれたことは、かなり照れくさかった。もちろん、シュートが決まったのはただの幸運だと知っていたから、あとはボールが来てもパスに徹した。

 こうしたことは私以外の当事者には全く記憶にない出来事になっているだろうが、私にとっては一つの思い出になった。スポーツという、自分にとって最も苦手だった分野における、貴重な成功体験。そのためにまた体育の授業を受けたいとはとても思わないが、学生生活の義務は、そういうものも与えてくれた。

*1:不良という呼称はどうかと思うが、当時はそう呼んでいた。