もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

シート式オルゴールを組み立ててみた

 シート式オルゴール(オルガニートとも)を工作してみた。30弁の電動タイプのオルゴールに、モーターのスピードコントローラーを装着しただけの工作ではあるのだけど、実際に動いた瞬間はさすがに興奮した。

 シート式オルゴールというのは、譜面となる穴の開いた紙を読み込ませて再生するオルゴールのことで、譜面を自作して演奏できるという、最高のおもちゃ、あるいは楽器である。そして白鍵2オクターブ少しの20音タイプと、半音もいくつか含めた30音タイプ(あるいは33音)がある。半音が加わることで表現の幅が広がるのはもちろん、価格もぐんと高くなる。

なにがたのしいか(宣伝)

  • オルゴールの音色が落ち着く
  • 自分で好きな曲を再生できる!
  • 自分でつくった曲が音になる!
  • 手回しではなく電動なのでラク

用意したもの

  • ムーブメント(本体)
  • 電池ケース(単3×3)
  • 単3電池3本
  • PWMモータースピードコントローラー

 モータースピードコントローラー以外はアマゾンで調達。モータースピードコントローラーは別の店から取り寄せた。ムーブメントが約5000円、すべて含めて6000円程度(送料等含む)。

下調べ

 私は以前からこのオルゴールの存在は知っていたのだが、価格がネックで買えずにいた。どうせなら33弁が欲しい。だけれども33弁は3万円ほどだった。一から手作りされているとのことで当然の価格なのだけど、私は裕福でもないので、ちょっと手が出せなかった。

 それでつい最近それを思い出してアマゾンを覗いてみたところ、30弁のものが5000円以下で出ていた。安い。が、買ってみてビックリ。ムーブメント(本体)だけで木箱もなにもないのは知っていたのだが、説明書も何もない。モーターから銅線が丸出しになっている。「あとは自分でやれ」と言うことらしい。

 それで、電子工作などやったこともないのだけど仕方がない、いっちょやってみるか、と思って、届いた翌日に部品を買いに走った。

買うまで

 図面もくそもない。とりあえず、電源を電池にすることにした。ACアダプターが同梱されていたのだが、コンセントから電源をとるのでは持ち運びが面倒になるのは必至。また、再生速度を多少操作したかったので、DCモータースピードコントローラーをつけることにした。これはつまみがついていて、それを回すことでモーターの速度をコントロールできる。

 電池は単3電池3本で4.5V、それに対応した低電圧のPWMモータースピードコントローラーを用意した。コロナの騒動で中国から部品が入ってこないとのことで、国内のセレクトショップから取り寄せたので200円高くなった。こうした電子部品関係では影響が大きいだろうなと、改めて実感した。また電池ケースはアマゾンよりも秋葉原のほうが破格に安かった。アマゾンでは300円近くしたけれど、電子部品の店では100円以下で売っていた。定期券が利くので交通費も無し。足を使う大切さを知った(笑)

動かした

 で、あとはこれをはんだでつなげるだけの簡単なお仕事ではあった。あとは適当に穴をあけた試作の譜面を作り、試奏する。電池をセットし、感電しないようにビビりながら、つまみを回す。少し回したところでモーターが動きだし、紙を読み込む。おおっ、動いた、鳴った! 手回し式でも楽しいのは間違いがないが、やはりモーターで回すほうが楽だ。

 そんなこんなで、あとはこれを入れる箱を何とかしたいのと、絶縁すべきかどうか。モータースピードコントローラーの基盤が丸出しなので、素人的には感電が怖いのだ。

 箱については、小物入れの木箱に、譜面を通す穴をあけないといけない。それはシートがぴったり入る幅で、しかもオルゴールの読み込み口にぴったり一致しなければいけない。もちろん、紙の出口も同じことで、とくに箱のなかで詰まってしまうと間違いなくシートを破損するから、間違えるわけにはいかない。これが素人にはちょっとハードルが高い。どうしたものだろうか。

コーヒー

 いつの間にかコーヒーが飲めるようになっていた。砂糖なしのコーヒー。他人からすれば「あっそ」という話に違いないけれども、これは私のなかでは革命に等しい出来事だった。つまり、それまで「私」だと思って疑わなかったものが、じつは違うなにかになっていたということなのだ。よく、「人間の細胞は絶えず入れ替わっていて、数カ月で全てが入れ替わっている」などと言う話はいるけれど、それでも自分は自分だと思っていた。

 私にとってブラックコーヒーは「大人」の象徴であり、私には関係のないものだと思ってきた。あんなに苦いものを飲めるはずがないと思ってきた。この確信の強さは、おそらく他の人には分からないほどに、強固なものだった。

 だからこそ、何気なく出されたコーヒーを不味さも感じずにいる自分がいることに気がついたとき、私の空っぽの脳みそにひとつのクエスチョンマークが浮かび、それから「歳をとったのだ」という実感と、それに対する戸惑いと悲しみが、ゆっくりとやってきた。

 コーヒーの苦味は、人々に人生や恋愛のほろ苦さを連想させる。けれど、やがては、その苦味すら感じなくなってゆくのではないか。悪魔のように真っ黒な、地獄のように熱いコーヒーさえ、何とも思わないようになるのではないか。

 そんな不安をかき消すように、カフェオレに大量のはちみつを入れて、飲み干した。

K先生

 人にはいろいろな思いやりのかたちがある、ということが分かったのは、意外と最近のことかもしれない。

 小学校のときに、Kという先生がいた。私が小学1年生のときに3年生の先生だったか、とにかく「上の学年の先生」として覚えていて、ほとんど関わることはなかった。その見た目は「クレヨンしんちゃん」の組長……ではなく園長先生そっくりで、髪形もメガネもよく似ていたから、当時から「園長先生だなあ」と思っていた。ただ、ハキハキしていてはっきりものを言う先生だったから、引っ込み思案の私にとっては怖い先生でもあった。

 あるとき、遠足で葛西臨海公園へ行くことになった。関東では珍しくもない。

 その日は朝から雨が降っていて、私はとても気が重かった。私はずっと電車が好きだったし、バスのにおいが大嫌いだった。朝7時、雨のなか100人以上の児童と教員や保護者らは小学校を出て、バスが待っている大きな道路へ向かった。足取りが重たかったのをよく覚えている。

 私は何を思ったか、小学校を出る前にかっぱを着ていた。傘をさすのが面倒臭かったのかもしれない。けれども、バスに着いたらかっぱは必要なくなる。かっぱを脱いで、しまわなければいけない。かっぱを器用にちいさく畳んでカバンにしまうのは、大人でもなかなか難儀する。小学1,2年生の私に出来るはずはなかった。

 それで、見つからないようにと願いながら、かっぱを着たままバスに乗りこみ、最前列の補助席に座った。そして目の前にK先生がやってきて、バスは出発した。

 高速道路のカーブのところだったから、おそらく出発してから10分から15分くらいは経っていただろう。どんな話の流れだったかは思い出せないのだけど、K先生が「かっぱなんて着てるやついねぇだろうな!」と言った。

 私は顔を真っ赤にして、目のまえに縮こまっていた。

 「おい、目の前にいるじゃねぇか!」

 そうK先生が言うと、バスのあちこちからひそひそと笑い声が聞こえた。

 ……と、これは自分にとって長いあいだ思いだすのも恥ずかしい記憶だった。けれど、最近思い出したのだけども、K先生はそのあとなんだかんだ言いながらも、かっぱをたたんでくれたのだ。当時の私は「いやだいやだ」と思っていたから、そのあとのほとんど記憶は無いのだけど、そのままバスは葛西臨海公園に着いた。そしてそこの浜辺で鳩が私の卵焼きをついばんだことも忘れられない。追い払う度胸がなかった。

 とにかく踏んだり蹴ったりの遠足だったから、当時の記憶のなかでもより早く薄れてしまったのかもしれない。ただ、今思い返すと、あれはK先生なりの優しさだったのだなあと、しみじみと思う。こういうふうに、10年20年と経ってから物事の見え方が変わるということがたびたびあるので、生きることはなかなか楽しいものだなあ、と感じている。

鼻うがいを始めてみたのでメモ

 ※個人的なメモです

 頭重感(ずおもかん)対策の一環として、鼻うがいを始めてみた。どうも鼻の奥から重たい感じがしていたので、気持ち的に楽になるだろうと思ってやってみたところ、なかなかいい感じだった。0.9%の食塩を混ぜたぬるま湯を使ったところ、痛みもまったくなかった。

 ただ、鼻うがいのの効果とリスクについては、ネットで耳鼻科のサイトを調べたところ、賛否両論見受けられる。印象としては推奨が多数、非推奨がかなり少数というところ。

 鼻うがいをする場合の注意点としては、(1)使用する水と容器は清潔なものを使用すること、(2)鼻うがい後は鼻を強くかまないこと、(3)鼻うがいをやりすぎないこと、あたりだろうか。

 とくに(1)水と容器に関しては、「水道水を使っていいのか?」という点でネットでも様々な情報があって困った。とくに「死に至る危険があるんです! なので専用の商品を買ったほうがいいです!」と、不安をあおる商売のにおいがプンプンするような記事も見受けられるのにはため息が出る(個人の感想です)。

 話がそれた。で、そうした脅迫的健康商法のいう「死に至る危険」とは何かというと、塩素消毒済みの水道水で鼻うがいをした人がアメーバによる脳炎を引き起こして亡くなった事例が、米国で2件報告されているというもの (PMID: 22919000)*1。こうしたことを受けてFDAアメリカ食品医薬品局)も消費者向けに蒸留水、滅菌水、いちど煮沸した水を使用することを薦めている*2

 こうした情報を見たうえで、あくまでも私個人の判断だけれども、水道水中にこのアメーバが混入しているリスクはごくわずかではあるけれども、リスクとして認識はしておく必要はあるのだろうと思う。万全を期すなら、上記のように処理をした水を使用すべきだろう。ただ私は、水道水のノズルの清潔、そして容器の清潔のほうに気をつけたい。

 で、さらに言うのなら、鼻うがいのリスクとベネフィットについてはさまざまな文献があるようなので、だれかが紹介してくれたらいいなーと思っている。これは検索結果があやふやな情報ばかりだったのでやむなく無能な自分がググった痕跡です。

*1:ほか、滅菌されていない水での鼻うがい、また鼻うがいではないものの水道水によるとみられる原発性アメーバ性髄膜脳炎で死亡したケースは複数あるようだ。詳しい話は詳しい人に教えて頂きたい……。

*2:Is Rinsing Your Sinuses With Neti Pots Safe? | FDA

パーティーにやってきた酔っぱらい

 うろ覚えなのだけど、ポピュリズムはパーティーにやってきた酔っぱらい客のようなものである、という旨の言葉を思い出す。ただそれを思い出したきっかけは、ポピュリズムの話ではなくてもっと低次元での出来事だ。

 ここでいう「パーティーにやってきた酔っぱらい客」というのは、招かれざる客でありながら、周囲の人びとが抱えている「言いたいけど言えないこと」を言ってくれる存在ということだ。言いたいけど言えないことというのは誰にでもある。並んでいた行列に割り込まれて「ふざけんな!!」と思いながらも言えないかもしれないし、店員から粗雑な対応を受けてもそれを指摘することはできないかもしれない。じつは不満を上手に発散することは必要なことなのだろうが、悪い人(クレーマーなど)に見られたくないがゆえにそれも出来ない、というところに葛藤が生じる。

 ちょうど先日そんなことと考えさせられる経験をした。

 街を歩いていたら、後ろから、男の悲鳴にも近い叫び声がした。よく聞くと、「歩きスマホはやめろっ!」と叫んでいるらしかった。私はそのおじさんの周りの人を観察してみた。すると彼の叫び声は明らかに効果があったとみえて、彼の周囲だけスマホを引っ込める人がちらほらいたのだ。

 そのおじさんは、周囲から自分が異常者であると見られることと引き換えに、自分の周囲だけとはいえ、自分の満足する秩序をいくらかは取り戻した。だが彼はそれでも満足しなかったようで、「歩きスマホはやめろっ!」と叫びながら去っていった。

 彼のように、自分のなかにある「世界のルール」に他人を従えようとする行動力を持っていたら、どんなにいいことだろう。通勤ラッシュに身を投じる戦士たちは、歩きスマホがいかに邪魔であるかを日々知っている。彼のように怒りをあらわにすることはなくても、本当は彼のように「歩きスマホはやめろっ!」と怒鳴り散らしてやりたいと思っている人もいるはずだ。そして私の印象では、怒鳴り散らすおじさんの存在は「歩きスマホはやめましょう」というポスターよりも歩きスマホをやめさせる力があったと思う。

 もちろん、これはパーティーにやってきた、招かれざる酔っ払い客なのだ。その酔っ払い客は作法は極めて不適切で礼儀もへったくれもない。だけどもその言うことは少なからぬ人びとが心に秘めている不満(本音)を代弁していて、その行動力はたしかに宣言どおりの成果を挙げた。もっとも、社会というパーティーが酔っ払いだらけになってしまうというのは、考えるだけでも恐ろしいことではあるのだけど。