もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

帰ってきた叔父

 電話で祖母が、「~~(叔父)が帰ってくるようになった」と言っていた。そのときの弾む声色は明らかに嬉しそうだった。

 叔父はそれまで寝に帰るだけで、夜1時に帰ってきて朝6時に出勤するなんて生活をずっと続けていた。それも時間はバラバラで、勤務地もバラバラ。遠ければ当然帰ってくる時間もない。責任ある立場だというのだが、責任者が少なすぎてあらゆる場所を回って立ち会っているらしかった。

 それが最近になって帰ってくるようになったというのだ。おそらく働き方改革の影響なのだろう。それまでふわふわの規制にすぎなかった残業時間の上限にガッチリ法律で規制がかかったり、企業では勤務間インターバル制度(ある日の就業時間と、その翌日の始業時間に一定以上の時間を開けて、労働者が休めるようにする制度)が導入されたり、そのあたりの改革が明らかに叔父の生活を変えたと言えるであろうと思う。そしてそれは一緒に暮らす祖母の安心でもある。もちろんその休日のしわ寄せがどこにどう行っているのかは考えたくないのだが。

 4月改正で始まった高度プロフェッショナル制度を「残業代ゼロ法案」と呼んだ人たちが居たように、働き方改革に問題点が無いとは言えないのだろうが、休日に関してはそういう恩恵が目に見えるかたちでやってきた。

黄色いガム

 3つの味が入ったガムを買った。わたしはピンクと黄緑色のガムが好きでひたすらこの2種類のガムを食べていた。そして黄色だけが残った。これだけで何のガムかすぐに分かった人がいたとしたら、おそらくこのガムを食べているのだろう。そしてそのあなたは黄色のガムが好きだろうか。我こそは黄色のガムが一番好きだという方がいるのなら、わたしの黄色いガムをすべて差し上げよう。かわりに黄緑色かピンク色のガムを頂きたい。

 資源配分の最適化というのは、こういうところにもあるのではないだろうか。わたしは黄色いガムは要らないがそれ以外の2ついずれかが欲しい。逆に黄色いガムが欲しいが残り2つ両方かどちらかは要らないという人がいれば、両者ともに幸せになる。そんな人が存在するのか、存在するとしてこのガムを買うのかという現実的な課題を無視すれば、という無茶苦茶な前提が付くが。

 いくらか巨視的に見ればフードバンクなどの取り組みもあるけれど、日常の世界を見渡してみれば、そういう広い意味での無駄(ロス)というものはたくさんある。同じ料金だからとちゃんぽんを欲張って大盛りにしたせいで半分以上を残している女性の隣に、トレーニングを終えた貧乏な大学生が泣く泣くミニちゃんぽんで我慢してお腹を空かせているかもしれない(似たような光景を目にしたことがある。わたし自身が貧乏側の人間だったわけだが)。

 もしも、余剰というものを世のなかのすみずみまで拾い上げて完璧に分配したとしたら、世のなかはどれだけ豊かになるのだろうか。どうしても食糧の廃棄問題などと絡めて考えてしまいたくなる。

 ……結局、わたしは黄色いガムを一切食べないので、そっくりそのまま「みんなで食べてね」と渡してしまった。要らないものを譲る。なんら善意的な行為ではないが、それでも喜ばれるものらしい。

「源」で終わる言葉から

えん‐げん【淵源】

〔名〕
① 物事の起こり基づくところ。物事が成り立っているそのもと。根本。根源。
玉葉‐文治元年(1185)一二月二七日「今度天下之草創也。尤可レ被レ究二行淵源一候」 〔班固‐典引〕
② (━する) 物事がそれに基づいて成り立つこと。
※淡窓詩話(19C中)下「古人の詩の淵源する処」

そくげん【塞源】

〔名〕 スル
〔左氏伝 昭公九年〕
根源をふさいで害を断つこと。 「抜本-」

か‐げん クヮ‥【禍源】

〔名〕
災いの生ずる根源。禍根。
※郵便報知新聞‐明治一四年(1881)一一月一四日「斯(かか)る禍源(クハゲン)のあるとも知らぬ車夫ルフブルは」

しん‐げん【心源】

〔名〕
(心は万法の根源であるところから) 仏語。心。
※本朝麗藻(1010か)下・贈心公古調詩〈具平親王〉「収レ涙倩思量、遠哉君心源」
※ささめごと(1463‐64頃)下「歌の眼(まなこ)ある人なき人ありとなり。心源の至れる人はあるなるべし」 〔顔真卿‐五言月夜啜茶聯句〕

きゅう‐げん キフ‥【給源】

〔名〕
供給するみなもと。出てくるもと。供給の源泉。
※生物と無生物の間(1956)〈川喜田愛郎〉一「そのウイルスがちょうどうまい時期に血液に出て、蚊に対する給源になるとは」

 

 淵源という言葉が好きでちょいちょい使う。起源、とくに根源という言葉とはニュアンスも近いのだけど、淵源というとやはり水をイメージする。大元のところから、流れ流れて今がある。それを遡って淵源へ向かう、そんなイメージ。

 ……気のせいです。

電車のカーテンについて

 おしゃれぶったデザイン。見た目はよいけれど使いづらい、そんなデザイン。電車のカーテンでそんなものを見つけてしまった。一番見かける従来のタイプでは、つねにカーテンには引き上がる力がかかっていて、それをレールの引っかかりに固定する。一方で新しいデザイン(といってもここ10年くらいの話だろうか)のほうはそんな原始的な方法をとらない。スッと引っ張り、手を止めるとカーテンがそこで止まる。そして少し下に引いて手を離すとスルスルと上まで戻ってゆく。要はレール付きのロールスクリーンとでも言おうか。「これぞスマートだ」と言わんばかりだ。

 なぜわたしはこのオシャレなスクリーンにブー垂れているのか。新しいものにケチをつけたいだけの、古臭い人間に成り果ててしまったのか。そうではないと信じたい。わたしが不満を持つのは、ひとえに「スッと引っ張り手を止めるとカーテンがそこで止まる」という基本的機能をまったく果たしていないからである。要するに肝心かなめの機能がバカになっていて、「オシャレだけど役立たず状態」のものがそのままにされているのだ。一切固定できない。どこで止めようと思ってもカーテンは勝手に上へあがってゆく。わたしだけではない。この猛烈な日差しをなんとかやわらげて本を読んだりスマホをしたいと願う人びとが、何人もこのカーテンに挑戦した。だがカーテンを下すという偉業をなし得た人物は一人も現れなかった。

 そもそもを言えば、ほどよく止めると固定されるというのが面倒くさいのかもしれない。本当に「ほどよく」なのだ。早すぎると勢いで戻ってしまうから、そーっと止める。それが今話したようなバカになっているカーテン(バカカーテン)だったときの怒り。「そーっとやったのに、なんだよ、壊れてるじゃねーか!」と悪態づきたくもなる。

 結局、わたしは従来のレールの引っ掛かりに固定するタイプのカーテンが好きだ。引っかかりに入れば「これで大丈夫だ」というのが分かる。見て予測できる。バカカーテンは止まるまで分からない。この、ほんのわずかな違いがもたらす安心感を想像してみてほしい。デザインというのは見た目ももちろん大切だけれど、操作性だとか、使い方が一目でパッと分かるかとか、動作が予測可能かとか、そういういろいろな要素を含んだ使いやすさというものが大切なのではないかと思うのだけど、どうだろうか。

 蛇足だが、最近の電車はカーテンすらないものも少なくない。UVカットだかなんだか知らないが、まったく日ざしを遮れていないし、本を読もうにも日向と日陰でチラチラして読むどころではない。肌には優しいかもしれないが、本を読みたい人間には優しくない。

 そんなことを考えていた。

墓参

 月命日ということで、母と祖母と叔父(母の弟)で母方の墓を訪ねた。外国人でにぎわう観光地からすこし離れた、静かな街。観光客向けに開発されまくった観光地とは対照的で好きだ。こちらは変わらずゆったりとした時間が流れている。あちらはめまぐるしく変わってゆく。いつでも変わらず迎え入れてくれるそんな街なのだ(ただ悲しいことに、思い出のある店は後継者や経営上の問題でどんどん減ってしまって、よく分からないブティックだとかブランドだとか横文字の店が増えてきている)。墓参りというのは、それ自体が気持ちを安らかにしてくれるものだが、わたしにとってはこの街を訪れることもまた、すこし心が温かくなるようなことなのだ。

 そしてまた墓を磨くのが楽しいこと。わたしは変な人間なので、とくに名前の彫られた部分にたまった汚れを落とすのが楽しい。最後に水を流したときに汚れも落ちるのをみると、心まで洗われる気分がする。

 手順はいつも決まっていて、まずはブラシなどでゴミを地面に払う。ちりとりに集める。そして上から水をかける。歯ブラシで苔やくっついた汚れを落とす(歯ブラシも硬すぎるのは石がきずつきそうでいけない)。名前のところを磨く。水をかける。ゴム手袋をして全体をぞうきんで拭く。あとは湯呑みを洗うだとかお花を揃えるだとか、そういうのもあるけれど、わたしはひたすら石担当なのだ。そしてこの数年で確立した、決めた手順で正確にやる。もはや故人を偲んで訪れているのか、石を磨きに来ているのか分からないほどだ。故人も草葉の陰で「なんだこいつは」と思っていることだろう。そんなことを思いながら、「来たぞ!」とばかりに祖母と地面をバンバン踏みならす。「起こすなよ」という声が聴こえてくる気がしないでもない。

 すべてが終わり、しばらく一同黙って手を合わせていたが、全長五センチくらいのハチが飛んできたのでわたしたちは慌てて立ち去った。それから同じ寺にある親戚の墓も磨いた。これは曾祖父の兄弟のなんとか(おい)で、もはや誰も訪れることことのなくなってしまった墓なのだと聞いている。会ったこともない見ず知らずの輩に磨かれて、どんな気持ちでいるだろうか。そのときはそんな想像を募らせるまでもなく、徹底的に磨いた。誰の墓だろうがきれいになるのは気分のよいことだ。それを祖母に伝えたら、「きっと喜んでいるよ」と笑っていた。

 納骨堂の近く、小さな木の陰に、真っ白なしゃくなげがたった一人で咲いていた。日蔭のなかでそこだけが日の光に照らされていて、思いがけず良いものを見た、と思った。