もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ピアノの森

 たまにはアニメのことも書きたいと思う。やはり今期注目しているのはピアノの森。拍手の描写の酷さ、前シーズンでは指まで3Dで再現していた演奏シーンが今期ではほとんど動かないなど、作画が気になる部分もあるのだけど、正直それはどうでもいい(迫真) もはや動かなくてもいい。とにかく声を入れてくれてありがとうございます(土下座)

 今シーズン面白かったのは、まず「ショパンの真正性」という問題が最初に出てきたこと。このブログでも夜想曲第2番の異稿のところで少し書いたとおり、わたし自身の関心でもあります。真正性の問題というのは、作中の記者も言っていましたが「誰もショパンの演奏を聴いたことがない。なのにどうしてあなたがた(審査員=権威)の演奏だけが正しいと言えるのか!(意訳)」ということですね。審査員は「楽譜に答えがある」と言いましたが、結局は彼ら自身のなかにも自分の思惑で動く人間が居る。弟子を通らせたいとか、ショパンの後継はポーランド人でなければならない、とか。

 それでアダムスキが落ちたり、レフ・シマノフスキのドラマがあったり、なんだかんだあって(アダムスキの選曲とか、詳しい人に教えて頂きたいことはたくさんありますが(笑))、ついにカイ・イチノセが登場します。カイの演奏は真正であるとかそういうことを飛ばして、最初の一音から人びとの心を射抜く。荒唐無稽で規格外。だけれどその楽譜の奥にある深いものを、ショパンの心を誰よりもくみ取っているし、それを自分のものとして表現する力もある。そこにアジノの目指したものがある。それは「真正性」に対するこの作品の解答でもあり、それよりも大きななにかなのではないかと思います。

 そしてまたアマミヤと父親洋一郎のすれ違い。そしてアマミヤの先生と父親のすれ違い。先生はアマミヤのピアノが土壇場で開花したことを喜ぶんですが、父親は「今じゃなくても」と言う。このあたりも考えさせられます(語りたいけど原作詳しくないし省略)。

 そして第5回でしたか、カイのピアノソナタ3番3楽章、ラルゴ。アマミヤが「超超超ピアニッシモ」って言ってました。ウナコルダも使って極限まで弱めたピアノの音。この場面でペダルのノイズがはっきり聴こえるのが印象的でした。それだけ音が小さい、あるいは小さい音をテレビ的に聴きやすくするために大きくしているということが分かります。

 あー、やっぱり、面白い作品を見ると誰かと語り合いたくなります! だけどわたしの周りにはアニメを見ているお友達も、クラシックを聴くお友達もいない。

 あとは、アジノとか、ジャン・ジャック・セローとか、タカコとか、森の端のひとたちとか、周りの人物目線で見て、どう演じてるんだろう、って想像しながら見たりしているので毎回けっこう楽しんでいます(笑)

歯を磨くことについて

わたしの磨き方

 わたしは歯を磨く。ふつうの歯ブラシと小さな歯ブラシ(デンタルタフト)。フロスと呼ばれる糸。たまに歯垢を見やすくするために染め出し液を使う。まずは先端の小さめの歯ブラシで全体をまんべんなく磨く。歯の側面と裏側、噛み合わせる面。さらに小さなデンタルタフトで歯を一本ずつ磨く。すき間も磨く。指を突っ込んで口を開くとやりやすい。そしてたまにフロスを通す。

 このように書くと面倒そうだけれど、所用時間は5分程度だと思う。たった5分。そしてこれはわたしにとって必要な5分だと考えている。もちろんもっと手間をかけている人もいるだろうし、そうでない人もいるだろう。そしてこれはわたしが見つけたわたし自身のための方法だ。なるべく楽に、一定レベル以上に綺麗にするために編み出した方法だ。

「歯を磨こう」と思った3つのキッカケ

 もちろんわたしは最初からここまで気を遣っていたわけではない。むしろ虫歯で神経やら歯の一部を失って、さらに年齢を重ねるなかではじめて学習した。

 具体的には、わたしがオーラルケアの必要性を痛感したのは3回あって、1回目で気づき、2回目でようやく行動に移し、3回目でさらに徹底した。1回目は虫歯の治療の過程で一日中激痛に悩まされたとき、2回目は電車で隣の席の人があくびをするたびにくさい息が流れてくるという恐ろしい出来事を体験したとき、3回目は歯医者でスケーリング(歯石除去)してもらったときだ。

 1回目のときは、歯と歯茎をまるごと握りつぶされるような痛みに耐えながらお台場へ行き、ついに耐えきれなくなってマツモトキヨシに走り込んで鎮痛剤を買って慌てて飲んだ。アセトアミノフェンだったと思うがアセトアミノフェンさまさまだ。そんなのは嫌だと歯磨きをちゃんとやろうと思った。

 2回目は説明するまでもないので省略。こんな思いを人にさせたら、どんなに人間的に素晴らしくても確実に一瞬で嫌われると確信したので、まずは人間性を磨く前に歯を磨こうと強く思った。

 そして3回目、歯石を除去するまでは「わたしはこれまでちゃんと歯を磨いてきた!」と高をくくっていたのだが、フロス(糸)を通したときに嫌なにおいが一気に鼻腔を貫いた。糸ようじでは被せものに引っかかってすっぽ抜ける恐れがあるし、歯茎を傷つけて出血したりもするのでやって来なかった。そのせいで、歯は磨けても歯間はまるで手つかずだった。完敗である。

歯を磨こう

 ここからわたしのはみがきプロジェクトが始まった。手間をかけすぎると面倒になって毎日続かない。だがあるていど手間をかけなければきちんと磨くことは出来ない。ではこの両極端のどこで妥協をするか。そして上記の方法にたどり着いた。大きな歯ブラシ一本ですき間などをくまなく磨くのは、職人的な技だと思う。むしろその方が手間がかかるかもしれない。だから結局タフト(極小歯ブラシ)と2本で行く方がわたしは時間をかけずにできる。

 ふつう人は毎日歯を磨く。そして「自分は毎日欠かさず、三食後に毎回歯磨きをしている」と思ってしまう。だが「きちんと」磨けているかというとこれが意外と難しいのだ。そのことに気がついたのは、すでに生まれついて20年以上が経ってからだとは、なんとも……。

(一応商品を掲載しておく。参考に載せるだけで、万が一ここから購入してもわたしにはビタ一文入ることはない)

 

クリニカ アドバンテージハブラシ 4列 コンパクト やわらかめ 1本
 
クリニカ アドバンテージ デンタルタフト 3本(※色は選べません)

クリニカ アドバンテージ デンタルタフト 3本(※色は選べません)

 

たまごをめぐる対立

 愚痴です。

………………

 スーパーで、ある2種類のたまごに注目した。

  • 安売りのたまご、約200円(消費期限およそ1か月)
  • 250円のたまご20%引き、約200円(消費期限1週間)

 これがもめた。世のお母様がたはどちらを選ぶのであろうか。やはり1週間という消費期限を嫌うだろうか。それとも1週間で消費するとみてちょっとした贅沢気分をとるだろうか。たまごコーナーの前で2分くらいディベートが始まった。

 わたしは後者を選んだ。その主張はこうだ。本来250円のものが200円で買えるのはやはり魅力的だ。この卵はめったに安売りされていない。たしかに消費期限が一週間程度しかないから20%引きなのだが、我が家の消費ペースから言って消費するであろう。

 問題となるのは消費ペースであるはずだ。いままでの消費ペースからみて、1週間という期限でたまごを使い切るかどうか。ここを言い争いたかったのに、ごにょごにょ話をするものだから、これを理解してもらうまでにかなり時間がかかった。

 これは、互いに相手を説得する、いわばちょっとしたゲームだ。「どっちにする?」というありふれたシーンだ。もしゲームを降りて、ただただ嫌だと言うのなら、「嫌だ。こっちがいい」とひとこと言ってくれれば済む話だ。にもかかわらず、自分の意志や主張を示すわけでもなく、こちらの意見は否定する。

 なんだろう、たまにこういうときがあるのだ。「とくに理由はないが、こっちがいい」と言うのだ。それが重大な危険に対する直感のようなものであればよいのだけど、たまごひとつにそんな直感が働くものだろうか? むしろわたしには、「日常への信仰」のように思える。いつも買っている商品だから安心できるという、無条件の信頼。それが価格や品質を踏まえた合理的な判断であれば、より良い商品が現れたときにはそうしようという意識が働く。だが、選択してきたことそれ自体が価値を持ってしまっている。その無条件の信頼が、商品を選ぶ際の話し合いを難しくしている。

 このように書くと酷く偏屈な印象がするし事実我ながらそう思うのだけど、言いたいことは極めてシンプルなことだ。あくまでもそのものの価値を考え、メリットデメリットを比較して判断してほしいということだ。

 結局200円の安売りたまごを買った。正直ただの好奇心だけだったし、たしかに、期限を気にせずに居たいと思うのもよく分かるものだったからだ。その代わりに、250円20%引きの牛乳は押し通した。数日しか期限がないが、毎朝毎晩と牛乳を温めて飲んでいるし、絶対に消費すると言って譲らなかった。

 裏を返せば、これといった衝突というとこんなことくらい、たかがたまご、商品の選び方くらいだ。本当に不快であればとっくに各自で自分の分だけを買っているだろう。かなり平和なのだとは思う。

エレベーターに誰もいない瞬間における奇行について

 ある記事いわく。エレベーターに乗って誰もいない瞬間に、肩回しスクワットをしたり、鏡に向かって口角を引き上げて笑顔の練習をしたり、防犯カメラに向かって手を振ったり、他のフロアのボタンを全押ししたあげく全力で閉ボタンを2回押して消すなどしている人がいるらしい。おもしろいことだ。わたしが見られるにもかかわらず見ていない世界では、このようなことが起こっているのだ。そしてわたし自身もまた、そのような世界に生きる人間でもある。

 わたしはふだん社会性というお面をつけて生きているに過ぎない。そして社会のなかでバレないようにこの社会性というお面を外す遊びをしているのだ。比喩的に露出狂と言えなくもないが、露出狂と違って、その社会性をはぎ取った瞬間(=露出)を誰かに見られてはいけないという固い掟がある。それは非社会的な行動ではあるが、「反社会的な行動」ではない。それでは交番のお世話になってしまう。

 たとえば目の前を人が歩いていても、その人がわたしを見ていなければわたしは顔面の筋肉のストレッチをおこなう(お気に入りでよく真似する顔があるので最後に掲載しておく)。あるいは、打ち込んでいる曲などを歌い出す。リズムに乗って左手をぴょんぴょん跳ねるように動かしたりする。見つかったら危ない奴と思われるに違いない。だが見つからないところでこれをやる。

 いわば、万人を相手に「だるまさんがころんだ」をしているようなものだ。社会的に振る舞いつつ、いかにお面を外す時間を多くできるか。この世界はそういうゲームなのだ。見つかったが最後、わたしは「変な人」というレッテルを貼られる。だが、いまのところそうしたことにはなっていないと思う。おそらくエレベーター内で変顔をする(先の記事にあったように)のは警備の人にバレていると思うが、同じ人がたくさん居るらしいので安心した。だがわたしは人が居ても後ろでやる。アピールしたりはしない。粛々と口角の筋肉と目尻の筋肉のトレーニングを行う。

 またこの時期はマスクをつけている人も多い。マスクの下で変顔をしている人も居るらしい。朝の通勤時間帯、けだるい顔をしている人もマスクの下で大口を開けて我々に向かって牙を剥いているかもしれない。恐ろしいことだ。だが、バレることのない安全圏だからこそ安心してそのようなことが出来るのだろう。エレベーターという密室にしてもそうである。 そこからあえてリスクの世界に飛び出すのは、やはり変な人としか言いようがない。

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わたしがよくやる顔。ばぶ~(門脇「子どもの社会力」、岩波新書で紹介されている古典的な研究。雑な引用で申し訳ない)

 

F. Liszt - Vom Fels zum Meer! (Deutscher Siegemarsch), S. 229.

 リストの「岸壁より海へ!(ドイツ戦勝行進曲)」を打ち込みました。いわゆるマイナー作品で、Youtubeにもほぼ動画無し(1件のみ:2019年2月時点)、全集にしか載っていないような作品なのですが、「この曲を少しでも広めたい!」と思って打ち込みました。勇壮で豪華なffの主部とかわいらしいdolceのトリオの対比の鮮やかなこと! 誰か、アンコールピースなどに弾いてほしい……。

 個人的には、まず「Sehr belebt und feurig (Molto animato e con fuoco)」という標語が好きです。燃えるように! しかも出だしから右手にはアクセントがついている。これはもう、強打するしかない! 曲としては、同じフレーズの繰り返し、形式的な反復が多いのですが、不思議と飽きません。

(音の間違いなどお気づきになったら、教えて頂けると嬉しいです)

作品について

 作曲は1853-56年(?)、1865年にシュレジンガー社から出版されています。IMSLPにある初版(シュレジンガー社)には時のプロイセン王ヴィルヘルムI世の名前が高々と掲げられています。表題のVom Fels zum Meer! は、ホーエンツォレルン家の家訓とのことで、やはりプロイセンを賞賛するものであることを示すものだと思います。

 作曲の経緯は不明ですが、初版の表紙には"Arrangement für Piano zu zwel Handen vom Componisten"(作曲者による2手のためのアレンジメント(たぶん))とあるので、管弦楽版が先に存在したと、とりあえずは考えられそうです(しかしリストの作品番号で知られるラーベは、ピアノがオリジナルだと考えていたとか(?))。バージョンとしては、ピアノ2手のアレンジ(S. 229)、おそらくオリジナルであろう管弦楽版(S. 358)、ハンス・フォン・ビューローによる四手連弾のアレンジ、ヴィルヘルム・ヴィープレヒト(プロイセン軍楽隊長?)による軍楽隊のためのアレンジの存在(不詳)が分かっています。完全に憶測ですが、これだけバージョンがあるというのは、やはりそれなりに注目された、あるいは社会的な要請に基づいて作られた作品だったのではないでしょうか?

 作曲された経緯やこのあたりのバージョンの関係についてはわたしの情報収集・処理能力では判然としないところが多いので、ご教示を乞いたい次第です*1

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「岸壁より海へ!」初版(1865)より(PDにつき掲載)

*1:Google BooksからMichael Saffle(2003), "Liszt Letters in the Library of Congress". を参考にしていますが、貧弱読解力につき、きちんと読めていないです。