もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

自作品「11月25日」

 思い出深い作品なのでいつか書きたいと思っていました。「11月25日」という作品です。思いついてから打ち込むまで、1日で作りました。

 わたしにとっては、へっぽこ鼻歌作曲でも続けてみるものだ、と思わせてくれた作品です。というのも、この曲は実際に弾いて下さった方がいるのです! わたしの曲は純粋な打ち込みなので運指もなにも考えていません。だからふつうは弾けないんです。まさか弾いてもらえるなんて思ってもいませんでした。それに、演奏というのはふつう読譜から入って何度も試行錯誤を要するものですから、ピアノが弾ける人は他人の駄作を弾くよりも自分で作ってしまった方がはるかに早いです。だからこそ(!)、挑戦しようと思ってもらえる作品が、偶然にせよ作れたのだと嬉しくなりました。

 この曲は即興演奏をイメージして作りました。最初にボワワーンと「全体的には三部形式にしよう、中間部は自由に展開して盛り上げよう」と思っていて、あとは自由に作りました。作りながら途中で「ここで主題に戻ったら、リトルネロみたいだ」と勝手に思って盛り込んでみたりしました。こういう思いつきは色々あるのですが、あんまり書くと「うちの寿司はどこどこの魚をどこどこから空輸してましてね」なんてヤボな寿司屋を想像してしまうので辞めておきます。素人ながらに、創意工夫を思いついて盛り込むのは楽しかったです……。曲は気持ちを込めるものだけれど、気持ちと形式が両輪うまく回ってくれるととても楽しいです。

 わたしは自分が弾いているつもりで作っているだけで、だれかに聴いてもらったり、まして弾いてもらうために作っているわけではありません。けれど、だからこそ、そうしたリアクションを頂けるのはとてもうれしいです。そのうれしさをこうやって記事にしてしまうわけです(笑)

「イワン・イリッチの死」

 「イワン・イリッチの死」を読んだ。やはり有名な本だけあって、読後「あぁ~~」となった(語彙力)。

 イワン・イリッチは社会的に見ればかなり成功していた人物といえる。官吏としての役割をまっとうしながら、快適な人生を作り上げてゆく。ところが、突然の病が彼の生命を蝕む。体は衰弱し、痛みはしだいに耐えがたいものとなってゆく。そんななかで家族も医者も自分の苦しみを何も理解してくれない。ましてや和らげてくれるはずもない。

 こうした経過のなかでイワンは「自分のこれまでの人生とはなんだったのか、自分の人生は間違いだったのではないか」という強烈な疑問に直面させられる。社交的な生活――うわべだけの笑顔や楽しみ。虚飾に満ちた人生すべてが間違っていたと、死ぬ間際に考えなければならないと思うと、恐ろしさしかない。耐えがたい肉体的な痛みと同時に、病苦が誰にも理解されないという孤独感や、みずからの人生について後悔せざるを得ないという苦しみが、イワンを弱らせてゆく。

 彼を理解してくれた数少ない人物が、百姓のゲラーシムと、中学生の息子ワーシャだった。ゲラーシムの善良さと、ワーシャの嘘偽りない涙が、彼に大きな救いを与えた。

 ゲラーシムは、死にゆくイワンを死にゆく人間として見つめ、気の毒に思った。彼の憐みがイワンの心を和らげた。イワンが過ごしてきた社交的な世界と、ゲラーシムの素朴な善良さ。やはりこれは対極にあると考えられる。

 その社交的世界の住人、家族を含めほかの人たちは、「すぐよくなる」などと言ってイワンに憐みを向けることはなかった。彼を心配するそぶりは見せたが、ほんとうのところでは彼の状態を理解しようとしていなかった。それをイワン自身も知っていたから、彼らの存在はイワンを苦しめるばかりだった。 

 ワーシャの場面は一番お気に入りなので少し長いけれどそのまま引用する。

 それは三日目の終りで、死ぬ二時間まえのことであった。ちょうどこのとき、小柄な中学生がそっと父の部屋に忍び込んで、寝台のそばへ近よった。瀕死の病人は絶えず自暴自棄に叫び続けながら、両手を振り回していた。ふとその片腕が中学生の頭に当たった。中学生はその手をつかまえて自分の唇へもってゆくと、いきなりわっと泣き出した。

 ちょうどその時、イワン・イリッチは穴の中へ落ち込んで、一点の光明を認めた。そして、自分の生活は間違っていたものの、しかし、まだ取り返しはつく、という思想が啓示されたのである (p. 100)

 彼は自分の人生に苦悩し続け、最後の最後で「自分の人生は間違いだった。でも、まだ取り返しはつく」という考えに至る。死の間際に取り返しがつくと言える。これは本当にすごい。そしてその思想のさきに彼は「本当の事」を見つける。そしてそのことが彼を苦痛から解き放つ。それはいったい何だったのか。

 そこで物語は終わる。ここで冒頭に戻れば、彼自身の彼の死と、他人にとっての彼の死の隔たりをいっそう感じざるを得ない。イワンの友人らにとってイワンの死はしょせん他人事であり、自分たちにもあり得るものとしては受けいれられていない。けれど、それは彼らの心のどこかで不快さを呼び起こす何かなのだ。そしてまた、そのような彼らの態度は、かつてのイワン自身のものでもあるということを忘れてはならないと思う。わたしたちはゲラーシムであるべきなのだ。自分が安らかに死ぬために。

 

イワン・イリッチの死 (岩波文庫)

イワン・イリッチの死 (岩波文庫)

 

 

「さんぽ」

 街を歩くと、幼稚園児の子どもたちの声が聞こえてきた。「さんぽ」だ。懐かしいな。わたしが幼稚園にいたときも、歌っていたものだ。みんなバラバラのキーで、先生のお手本にも他の子の歌にも構うことなく自分自身の「さんぽ」を歌っている。調べてみると、「となりのトトロ」の公開が1988年、かれこれ30年以上歌われ続けていることになる。

 世間の目まぐるしい流れに戸惑うばかりのわたしにとっては、世代を超えて共有されているものがとても、とても貴重に感じられるのだ。ああ、子どもたちよ、先生方よ、素敵な「さんぽ」を歌ってくれてありがとう。あなた方はわたしをどんなに喜ばせてくれたことか。思わず石畳のプロムナードでひとりスキップをしていた。

 夕方、家に帰って、卒業ソングというのも調べてみた。いろいろな歌があるが、「旅立ちの日に」が上位に入っているのがなんともうれしい。自分の好きなものが、世のなかに埋もれずに語り継がれているのは幸せなことだ。

 わたしも、最近の10代が聴くという卒業ソングも聴いてみた。あれ? これはどこかで聴いた曲じゃないか。とても聴きやすく、メッセージのある曲だ。とすると、その時代の「10代」の感性はさほど変わっていないような気もする(もちろん無謀な一般化ではあるが)。その点だけに関しては、思ったよりも、時代の流れというのは遅いものらしい。

ファミレス・カフェ店内での通話について

 他人との価値観の違いというのはどこまで行っても尽きることがない。たまたまレストランで居合わせた赤の他人の食べ方を「汚いな」と思うこともあれば、毎日のように顔を合わせる同僚が昼食後に歯磨きをしないのを「あり得ない」と思ったりもする。家庭では「なんであの人は立って用を足すのだろう、飛び散って汚い」と思う人もいるかもしれない。それぞれがそれぞれにとっての常識なのだが、他人にとってはそうでないということが山のようにある。

 例えばわたしは、ファミレスやカフェの店内で通話をすることは良くないと思っていて、通話は外に出てすべきだと思っていた。だが、今では平然とふつうの声で通話をする人も少なくない。もちろん小声で遠慮がちに「かけ直します」という人もいる。果たして、このどちらが正しいのか。

 レストランやカフェでパソコンで作業をする光景が当たり前のように見られるようになり(禁止している店もあるが)、通話もその延長線上で大丈夫だろうと考える人が増えてきたのかもしれない。店がルールを明文化していれば大半の人は「店が決めたのだから」と引き下がるだろうが、それでも「なぜ通話だけがダメなのか」とは思うかもしれない。これは常識がバージョンアップされる過渡期だからなのか、それともただの思い上がりゆえの過ちなのか。例えば、「テレビを見ながらご飯を食べる」というのも、最初は行儀が悪いと思われていたのではないかと思う。一つの例に過ぎないが、わたしの祖母の家では、祖父が存命中はテレビをつけながらご飯を食べることはまったく無かった。ここ数年になって、祖母と同居している叔父がテレビを見ながらご飯を食べたりするくらいだ。

 いずれにせよひとつ思うのは、通話にせよ作業にせよ、それまでの通念と異なる行為については、「許可されていなければしてはいけない」のではないかということだ。する人は「禁止されていないからやってもいい」と考えるかもしれないが、それを言えば、図書館のなかでバーベキューを始めてもいいんですかという話にもなる。飲食はダメだというが料理は禁止していないという屁理屈である(いや、それも禁止されているかもしれないけれど)。ただその場合も難しくて、「作業をしてもいいんですよ」というカフェが流行れば、ほかの店でもいいんじゃないか、と考えたくなってしまうのは想像できる。はてさて、どうしたものだろうか、どうなるのだろうか、と思う。

今日の夢

 やたら夢を見た。8つくらい見たと思う。

ジェラート

 ミルクのジェラートが乗った、巨大なアイスクリーム。食べるのを楽しみにしていたのに、父が居間を占領していて、いまは食べられない、と思った*1。けれど、そのままではアイスは溶けてしまう。わたしはしかたなくキッチンへ行き、大きなアイスにサランラップを何枚も貼り付ける。一枚では足りない。

研究者

 デューク東郷(名前を書くのは危険である)。権力者を信じついてきた研究者(?)が、いいように利用されたことを知り、その足にすがりつく。研究者は瀕死だ。しかし救いを求める彼の手は足蹴にされる。死に行く彼の前で、権力者が殺される。彼は安堵し、その命を終えた。空からタコの足のようなものが地面に突き刺さっていた。それはえんじ色と黒の縞模様で、光沢や質感はビニルに近い。ところどころねじれている。

落語家

 太った落語家たちが大相撲をとっている。ふつうの相撲とは違って、双方離れて四股を踏み、不知火型で立ち上がりながらお互いが顔を突き合わせるまでに近づく。それでまた離れて四股を踏む。型を見せ合うだけなのだ。左側の力士(?)はなかなか大柄で、引退がささやかれている。頑張ってほしい、とわたしは思った。

京町家

 京町家のような家。その自宅に有名人のサイン色紙などを大量に持っている。どうやらわたしはこれを売りさばいて収入を得ているらしい。色紙は、綿の入った布で出来た、三段の袋状になった色紙入れに入れている。ところがいまはからっぽだ。「もっていっちゃったんだね」とわたしはこたつのなかで家族に言う。サイン色紙の抽選に落ちてしまったし、こりゃ大変だな、と思った。

お饅頭さま

 地蔵がある。「お饅頭さま」と言って、なでるとその手が甘い味がすることがあるという。近くに祖母がいる。ロキソニンが落ちている。「具合がわるいの?」と聞くと、「すこし疲れた」という。

レッスン帰りに迷う

 艶のある木で出来た、円形状のホール。ダンサーや役者が練習している。リポーターと語り合う。コーヒーがどうとか。わたしも壁を蹴って飛び上がってみたりする。しだいに役者たちは減り、わたしも帰ろうと思う。出口に帰りがけの竹中直人がいて、のだめのシュトレーゼマンの格好をしている。威厳がある。わたしもついてゆく。関係者用の通路には楽器の練習をしているひとたちがいる。そこに友人がいて、「いまから定期演奏会があるんだ」と言う。わたしも聞こうと思ってホールへゆくが、満員で席がない。仕方がない、帰ろうと思った。ところがこんどは道に迷った。洗濯機やら、変なところに来てしまった。そんなときに女の子に出会った。彼女はだれかに連絡をとり、流暢な英語で話した末に出口を聞き出した。それで案内をしてくれたのだが、ふたりして迷った。本が山積みの研究室、ホテルのリネン室、など。

うさぎとび

 本を読みながら、うさぎとびで街を歩いて(?)いる。坂道もうさぎとびのほうが速いらしい。街の人が後ろ指を指しながら「やあね、勉強と運動を一緒にしてるわ」と言うのを聞き、わたしは恥ずかしく感じた。

*1:夢の中では、思うということは無意識的で避けられない、世界のルールのようなもの