もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

つまらない人

 世のなかつまらない人が居るものだ。かくいうわたしが面白い人間だとは思っていない。けれども、あまりにもつまらない人が居るのだ。例えば、「ふとんがふっとんだ」とだれかが言って「つまらないね」と言う人は、いささか優しさに欠けるのかもしれないがまったく問題ない。けれども、「そんなわけないだろ」みたいなことを言う人はなんなのだ。しょせんダジャレだと言うのに、彼らはなんでも字面そのままに理解しようとするのだ。

 わたしたちの大半は「ふとんがふっとんだ」がおそらくもっとも有名でもっとも下らないダジャレであることを知っている。だからわたしたちは「つまらないね」などと冷ややかなことを言ったり、場合によっては大笑いをすることもあるかもしれない(見たことがないが)。いずれにせよ、会話している人たちはともにダジャレのレベルで語り合っている。ところが彼らはそのレベル合わせが出来ないものだから、わたしたちがダジャレのレベルに居ても、彼らは現実のレベルに居つづける。彼らにとってはそれが唯一無二のレベルであり、その下にさまざまなレイヤーがあることを知らない。いや、知ってはいるのかもしれないが、現実のレベルにしがみついている。彼らの切り返しはつねに、「下らないダジャレだ」ではなく「ふとんが吹っ飛ぶわけないだろ」なのである。

 この手の話は、興趣を理解できる自分(書き手)と理解しない相手(批判対象)という上から目線の話になってしまう恐れもある。「ハッ、あの議員のあの発言は、しかじかの名著の引用で、あの議員を道化になぞらえてバカにしたジョークなんだよ。そんなことも分からないなんて」などと言ったところで、特定の文脈を理解できる自分が、できない人びとを見下しているに過ぎない。そこには見下すいやらしさがある。けれど、これはそんなに高度な話ではなく、「ふとんがふっとんだ」レベルの誰でも理解できると思われるような文脈が通じない人が居るのだ、ということに対する率直な驚きに過ぎない。「屋根が吹っ飛んだ、やーねー」と言えば、彼らは「なんという話だ、不謹慎だ、撤回しろ」と怒り出す。まったく、下らないダジャレを発したその口が、開いたまま塞がらないような話である。

雑記:面白いと思って読んでいたブログがことごとく更新停止に陥ってゆく。人間が感じられる文章、よいブログだったのに。まったく悲しいことです。