もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

 とにかく大きなもの、立派なものに憧れている子どもだった。男の子にはそういう時期が訪れるものなのかもしれない。子ども用の小さな傘が嫌で、60cmだの70㎝だの、とにかく大きな傘を買ってもらって喜ぶような子どもだった。なんとくだらない背伸び。小さな体に大きな傘を背負い、幼稚園に通っていた――というわけもなく、あまりに使いづらいので1回か2回使っただけで子ども用の傘に戻してしまった気がする。実際には「僕に買ってもらった」と自分が思っていただけで、はなから父用の傘だったのだろう、と、ここ最近になって考えるようになった。

 はじめて自分で傘を買ったのは高校生のころだった。8000円くらいのMoMAの傘で、内側に青空が描かれているところに惹かれて買った。それから5年以上は使い続けたけれど、これまた最近になって電車のなかに置き去りにしてしまった。目の前の扉が閉まり、反対側のホームから折り返し運転の乗客が乗り込んでくる。車両番号と座席の位置を覚えていたので、すぐに駅員に言おうかとも思ったが、寸秒思いを巡らせて、傘を見捨てることにした。自分の気のゆるみが招いた結果だ。この傘のことを教訓にして、しっかりせねば、と思ったからである。そう考えると、「たかが傘、取り戻せるなら取り戻せばいいじゃないか」という気も無くなって、むしろ「たかが傘」で済んでよかったとも思った。自己満足の不法投棄かもしれない。だがわたしが失った傘はわたしにとってそれ以上の意味があった。いつか、自分が一人前になったと思えるようになったら、また同じ傘を買いたいと思っている。