もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

他人を思いやる自己中心的な人

 自己中心的と言うと、何よりもまず自分のことを優先する人というイメージが強いけれども、他人を思いやる自己中と言うのも居て、こちらのほうが悲劇ではないかと思う。というのも、彼は彼なりに他人を思いやっているのに、それがまったく相手に届かないのだ。その理由は明らかで、思いやりの内容もタイミングも間違っている、はっきり言って完全に的外れだからだ(というより、そもそも的を狙おうとしていない)。

 つまり、彼が他人を思いやろうと言うときにまず考えるのは”自分がしてあげたいこと”であって”その人がしてほしいこと”ではないし、彼が他人を思いやるのは”自分が思いやりたいとき”であって、”他人が求めるとき”ではないのだ。自分がしたいことを自分がしたいときにしているだけなのだから、そんな思いやりが他人に通じる方が奇跡的ではないかとさえ思えてしまう。

 さらに、そんな一方通行の思いやりに相手からの感謝を求めたかと思えば、”相手のためにしてあげた自分”に満足してますます一方通行に拍車がかかる。あまりに不器用な思いやりが空回りしている。時速300キロを出せる性能があったって、暴走して目的地に向かえないようでは意味がない。そうして一人で労力をすり減らして、「なんで俺がこんなにしてやってるのに、それに応えてくれないんだ」というような不満を爆発させてしまう。

 こう書くと、そんな危険な考え方をする人はいない、と思いたくなる。けれど、案外誰でもそうなってしまうものなのかもしれない。日ごろは自分勝手と程遠い善良な彼が、恋に関してはそうなってしまったらしい。一度そういうドツボにはまると、抜け出すのはとても難しい。

 実を言えばわたしの父もそういうところがあって、母のために懸命に尽くしているのだけど、それが実行されるのは母が求めている時ではないし、母が本当に求めていることでもない。気まぐれに台所に立って家族サービスをする、ごちゃごちゃ面倒な料理を作り、面倒な下ごしらえを母に押しつけ、しかも本人は「料理を作ってあげた」「一緒に料理を作った」などと思い込んで満足している。悲しいまでに自分本位なのだ。あらゆる物事に対する、考え方が。