読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ものを知らない:図書館の選書基準を知らない

駄文

 日本書籍出版協会が、全国の公共図書館2600館にベストセラー本の購入を控えるように申し入れた、という記事が2016年11月23日付の読売新聞にあった。

 それまで、図書館はどうやって本を選んでいるのか、選ぶべきなのか、という素朴な疑問がときどき頭に浮かぶことがあった。それはベストセラー本を買うべきか否かという点よりも、より根本的に、本を購入する段階で選別を働かせるべきなのかどうか、働かせるとすればどのように働かせているのか、という問題意識として現れた。以下、まったく調べていないのでただの戯言ではありますが。

 あえて極端に2つの立場を示すと、要求論と価値論とでも言うべき考え方があると思う。要求論(市民の要求に応えることが第一)の立場に立てば、その図書館の蔵書は小説やラノベが大半ということになるかもしれない。そこから価値論(資料の価値に応じて選定する)の立場に近づいてゆくほど、小説やラノベばかりではけしからんのではないか、ということになって、ちょっとずつ難しい本やら実用的な本が増えてゆくかもしれない。

 ここで、わたしの近所の図書館(わたしは親しみを込めて”墓場のような図書館”と呼んでいる)の話になってしまうのですが。この図書館は、ずいぶん小説が多いと感じる。子供コーナーを除いた書架の4分の1くらいが小説で、図書館は「資料を保存するスペースがない」というようなことを言って、なかなか新しい資料を購入してくれない。もちろん小説を購入するのが悪いとはまったく思わない。ただ、スペースがないというのであれば、購入する資料を選ぶべきではないかとも思う。純粋に要求の数に応じて決定するなら、時の話題になった本が選ばれるに決まっている。たしかにより多くの人が満足するかもしれない。けれど、このなかで何年何十年と読まれ続ける本が、読まれるべき本がどれだけあるのだろうか。

 もちろん、「なにが”読まれるべき本”」かという問いは明らかに危険だと思う。価値の有無を判断するということは、人びとが本を楽しむ自由を妨げかねない。そのことが分かっているだけに、要求論と価値論のあいだで、もの知らずは頭を抱えて右往左往しています。片方に「ベストセラー本は自分で買いなさいよ」と言う人がいるとすれば、「そんな小難しい本こそ、読む人が居ないんだから自分で買いなさいよ」と言う人もいるかもしれない。