もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

いきなり顔を表示して恐がらせる手法

 久しぶりに、いきなり顔が現れるというドッキリを見た。話題になっている宣伝のアレである。

 内容としては、物語で引き込んでおいて、最後の最後で効果音(たいてい大音量だ)とともに顔がワッと現れるというもの。てっとり早くドッキリさせる方法としてはすでにおなじみである。だから今回それを見たときも、わたしはどこかで懐かしさを覚えた(それも1割ほどであって、もう2割は怒り、残り7割は”また顔か”という思いであったが)。

 わたしなどは「ウォーリーを探さないで」というFlashの洗礼を受けたタチである。家族と一緒にウォーリーを探していたら、エクソシストの写真と同時に「ウワアアアアッ!!」という大音量が鳴り響く。当時はイスから転げ落ちる勢いで驚いたのだけど、それから似たようなものがどんどん出てきて、ネット上でもおなじみになってきた感じがある。

 しかしたちの悪いジョークならいざ知らず、物語で引きこむ心霊番組などでこれを使うのは面白くないと正直思っていた。というのも、さんざん物語で怖くなってきたところなのに、最後の最後にそんな安易な手段を行使されると、「とにかく怖がらせてやろう」という作為が丸見えになってしまって興ざめしてしまうからだ。物語の終盤まで姿かたちを現すことなく陰から主人公をおびやかしていた幽霊は、その見えない怖さを与え続けていてくれればいい。最後の最後になって突然主人公の眼前に姿を現す必要はまったくない。

 だから、最近見かける”怖がらせる番宣”でも、顔がなければなぁ、などと思ってしまう。物語で視聴者を引きこむなら物語に徹してほしい。けれどもショックを与えるというお手軽な方法で感情移入させる方法は、たいてい誰にでも通じるから便利な方法ではあると思う。だから、そういうものを見るときは「いったい何が起こるのだろうか」とドキドキしているのが半分、そして「どうせ顔が出てくるんだろう」というのが半分。そしてほんとうに顔がワッと出てくると「あぁ~~」と頭を抱えてしまう。こんな偏屈な見方をしている人はたぶん少ない。

 それが演出だよ、そんなに演出というものが嫌いなら、怪談でも聞けばいいではないか――という自分の声がどこからか聞こえてきた。