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もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

必笑小咄のテクニック

読書

小咄の分析に隠された社会への警鐘――笑えるのにハッとさせられる本

 米原万里さんの書評を読むと、こういう読み方がしたいなと思わずにはいられません。小説から政治的なノンフィクションまで、ジャンルを問わずこんなに本を楽しんでいる人がおられたとは。楽しんでいることが伝わってくるものを読むと、こちらまで楽しくなってきます。というわけでときどき米原万里さんの本を読んでいて、本書もその一冊です。

小咄を考える面白さ

 この本は、小咄の面白さを分析しようという、ある意味で無粋な本です。本来は悲劇になるところを喜劇にしてしまうブラックなユーモアや、たった一行で物語の全容をひっくり返してしまうオチなど、いくつかの技法を紹介するだけではなく、「さあ、あなたもやってみて」といわんばかりの応用問題もついています。例えばこのような問題。

次のセリフを最後に持ってきて男にしてやって、いやオチにしてやってほしい 「すみません、喫煙者用のボートはどちらでしょうか?」

 この答えをすこし考えてみましょう。――この問題に答えるためには、「変哲のないセリフがおかしくなるような状況はなにか」と考えて、さらにそこに必要な要素を加え、無駄な要素は削り、そうして構成してゆかないといけません。この例題ひとつだけでも、小咄は想像(イマジネーション)の産物であると同時に、テクニックも欠かせないのだということがよく分かります。

笑いに隠された社会への警鐘

 ところが、そうした「笑い」だけがこの本の魅力ではありません。というのは、この本はお笑いとしてのジョークの本であると同時に、われわれの社会へ警鐘を鳴らす本でもあるからです。もちろんジョークにも政治的なものはあるのですが、この2つはもっと本質的な部分でつながっています。というのは、ジョークでは笑いの原動力となる奇妙な論理というものが、ひとたび実社会に持ち込まれれば多くの人をあざむく詭弁となりうるということ、まさにそのことに対する警告の本でもあるのです。

 その意味で、本書の最初にある”小咄と詐欺師の手口は似ている”という指摘は、小咄の面白さについて語るものであると同時に、筆者の社会に対する危機意識の表れでもあるのではないでしょうか。

 米原万里さんのエッセイには政治的な発言が含まれているものが少なからずあり、Amazonなどのレビューではそこに賛否両論があるようです。そうした反応が生じることは十分に予想できます。にもかかわらず筆者はなぜそのようなことを書くのだろうかとわたしは考えていたのですが、ジョークを分析した本書を読んで思わず膝を打ちました。というのは、(繰り返しになりますが)ジョークでは笑いの原動力となる奇妙な論理というものが、ひとたび実社会に持ち込まれれば多くの人をあざむく詭弁となるということ。ジョークの面白さを分析することが、じつは社会に対する危機意識にもつながっているのです。

 あまりお堅いのも性に合わないのでこの辺にしておきます。ただただ小咄について考え笑い転げるのもよし、そこから社会的なメッセージを読み取るのもよし、その懐の広さが米原万里さんのエッセイの面白さではないかと思います。そしてこの短い本ほどそれを感じさせられる本もないと思うのです。

必笑小咄のテクニック (集英社新書)

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