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もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

三尺三寸箸

 三尺三寸箸の話が思い浮かんだ。柄の長いスプーンの話ととしても知られている。

 天国と地獄というものは、どちらも似ている。どちらにもごちそうがあって、それを取り囲む人びとがいる。そして、どちらも三尺三寸、1メートルを超える長い箸をもってごちそう(あるいはスープ)を食べようとしている。イスで固定されているとかなんとかで、ごちそうにありつくためには、この箸で食べるしかない。

 ところが箸が長すぎるからそのままでは食べることができない。ここで天国と地獄の違いがでる。

 地獄では、だれもが自分の分を自分でとろうと躍起になり、争い合う。争いが続くほど、飢えの苦しみが増し、互いの憎しみも募ってゆく。しかし天国の人びとは、互いに食べさせあうことでこれを解決し、争いも飢えもなくおだやかに過ごしたという。

 細かい点は違うと思うのだけど、だいたいこのようなお話である。同じ状況でも、そこに居る人間の動き、あるいは心というものが、その状況を天国にも地獄にもするということを示す話だと思う。

 いまこの話を思い出したというのは、人間や心が問題にすべきところ、それをおざなりにして技術的に解決してしまうということがあるのではないか、と思ったからだ。

 三尺三寸箸の話で言えば、人間による解決方法は「互いに食べさせること」であり、その周囲の環境をどうこうしようという話ではない。ところが技術的の解決することも可能ではある。たとえば、”伸縮する箸”をつくることができればこの問題は解決する。箸が長すぎて食べることができない、それでいて短いと食べものを取ることができないという問題がある。ならば伸縮可能な箸をつくれば、どちらの問題も解消する。

 もちろん、これが答えであるというわけではない。それどころか、伸縮可能な箸は天国すら地獄にしてしまう可能性だってある。なぜなら、伸縮可能な箸によって誰もが自分で食べられるようになってしまえば、天国となりうる場合でも互いに食べさせる必要がなくなってしまうからだ。そうなれば、だれもが自分の食べたい分だけを取れるようになる。そうして奪い合いが生じる。目先の問題が解決されたがために、奪い合いという本質的な問題が見過ごされてしまう。

 「人間のための技術」が地獄をもたらすケース、言い換えれば、人間の問題として解決されるべきケース、それが三尺三寸箸ではないかと思う。

 技術が悪いという話ではありません。念のため。