もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「厭書家(えんしょか)」

「厭書家(えんしょか)」という言葉を目にして、「おっ、仲間か」と勝手に思ったのだけど、まったく違った。この「厭書家」というのは、本を愛しているからこそ、すべての本を読むことのできない自分の非力さを嘆いて言っているらしい。だから本棚にある「読んでいない本」を恐れているのだ。

 この世にある無数の本を読むなどというのは、どんな人にも無謀なお話。とんでもない愛書家だからこそ、その無謀さにぶつからないといけない。そんな思いが込められている(ただ、「愛書家」を自称する人びとへの皮肉でもあるとも思うのですけどね)。

 けれどわたしは違う。できれば本など読みたくない。なかにある情報に興味はあっても、「読む」という行為を好んでいるわけではない。それならどちらかといえば装丁(見た目)のほうが好きだ。それぐらい「読む」と言う行為にこだわりがない。中にある情報だけ脳のなかに入ってきてくれたらどんなに嬉しいことか。もっとも、そんなことをしたらあっという間に脳がいっぱいになって爆発してしまうのだろうけど。

 まったく、なにが「厭書家」だ、とんでもない「愛書家」ではないか。これが「愛書家」でなかったら、世の「愛書家」はどれほど本を愛しているのだろうかと考えると、恐ろしくさえある。わたしが苦痛に泣きながらページをめくるような本を嬉々として読み、ぽんぽんと次の本へ進んでゆくではないか。