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もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

”希少であること”と”量的に少ない”こと

 あるそば屋で、「そばの実から、3割しかとれない一番粉を使用しております」というようなチラシを見かけた。ところがこれ、意地の悪い見方をすれば、殻が一番貴重だということになってしまうのではないだろうか。「そばの実から、1割しかとれない殻を使用しております」、というような具合になる。パサパサしていそうであまり嬉しくはないが、一番粉を殻に置き換えただけで、文法としては同じである。たぶん。

 こういう強調の仕方はよくある。例えば「300キロもあるマグロのなかでも、1キログラムほどしかとれない……」などという説明(これは適当なので実際にはどうか分からないが)。この場合は、「ああ、希少だなー」と思うのだけど、そば粉となると、あまり希少という気がしない。これは、自分の価値観のなかで一番粉の位置づけが出来ていないからかもしれない。

 もちろんこんなことに本気で批判的につっこんでいるわけではないのだけど、ちょっと考えさせられる。

 言葉にすると当たり前のことかもしれないが、”希少であること”と”量的に少ない”ことというのは同じではないのだ。希少さは、人びとの欲求の強さと実際に存在する量の関係で決まるのではないだろうか。つまり、量的な少なさで言えばそば殻は少ないには違いないのだが、希少なのは一番粉のほうだろう。