もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

技術革新とスポーツ

 いつものように、自分の気になっていることを記録してみる。意見というよりも公開独り言である。

 技術革新が競技に与える影響について、すこし気になっていた。そのきっかけは卓球で使用される補助剤の問題だ。補助剤を使ってラバー(ゴム)の反発力を高めれば、それだけ強力な球を繰り出すことができる。そして今回メダルを手にした水谷選手が、さきのロンドンオリンピックのときにこれを批判し、話題となった。

 このニュースをみたときに、これは問題への是非をさておいて考えさせられる問題だと思った。たしかに新しい技術が開発されてゆけば、競技のレベルは上がるだろう。だが、技術が高まれば高まるほど、技術面での勝負(技術競争)という余計な要素の影響が増大するような気がしてならない。極端にいえば、実力は同じなのに、道具の差で優劣がつくというのは、あまり望ましくないとは思う。

 もっとも、「ではどこまでを人間の力とすべきなのか」という疑問は当然生じる。補助剤にしても人間の力を損失なく伝えるだけであって、人間の力以上の力を加えるというものではないから、その意味では非人間的ではないとも言えるかもしれない。健康への被害という問題があり、さらに規則でも禁止されている。けれど、問題の本質はどこにあるのか、理解がおよばずよく分からない。

 少し話がそれてしまった。つまりわたしが思うのは、技術という要素を出来る限り抜きにした、人間の勝負が見てみたいということだった。もちろんそれは現実的には不可能だから、”出来る限り”という制約がつく。まず、技術的な条件を統一しないと、ある道具を使った人だけが異様に強くなるということが出てきてしまう。そしてそのつどその道具が禁止される、というのでは、アンフェアな試合が生まれる芽を放置しているようなものだ。ただ、トラック競技や格闘技の場合はいざ知らず、卓球やテニスなどの道具を使う競技となると、「どうやって技術的な条件を統一するのか」という疑問が湧く。全員が同じラケットを使うわけにもいかない。けれど、やはりそこは一定の線引きをしなければならない。では、どこで線引きをすべきなのだろうか。

 技術的な要素を可能な限り取り除くことができれば、過去の記録との比較も可能になるのではないだろうか。いや、すでにやっているだろうと思っていたところ、先日の『地球ドラマチック』で「時を超えたアスリート対決!~人間は進化したのか?~」という企画がやっていたので、大喜びしながら見た。往年の名選手と現役のトップ選手が、時を超えてタイムを競い合う。現代の技術的な優位性を取り除いた上での正面勝負。とはいえ、現代では生理学に基づいた体づくりなども進化しているのだろうから、肉体的にも現代の方が優れているだろう、と偉そうに勘ぐったのが間違っていた。なんと200m走や水泳200mは惜敗してしまう。現代では往年の名選手の記録を大幅に塗り替えるトップアスリートの彼らが、道具を過去のものに変えたとたんに勝つか負けるかのきわどい勝負を見せる。しかしカヤックのように、完全な勝利を収めた競技もあった。トップアスリートの世界の高みを感じさせられる勝負だった。

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