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もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

6年ぶりの映画

駄文

今週のお題「映画の夏」

 そういえば、5月末に映画「海よりもまだ深く」を観た。泣ける映画でもなければ、笑える映画でもない。ただこの人物たちの生きる様子を見て、なにかを感じるだけの映画だったと思う。なんという紹介下手か。開き直って、紹介なんて易しいものではない、自分本位の感想文を書いてみようと思う。

 映画館で映画を見るのは「ガリレオ 容疑者Xの献身」以来、6年ぶりのこと。それも特別鑑賞券をもらわなければ有り得なかった。忙しくて使う機会がないということで鑑賞券をもらったのが、なんと期限切れの2日前。どうせ行くなら上映作品の多い映画館がいいだろうと、いつもは通り過ぎる大きな映画館へ入ってみた。混んでいたらどうしようかと思っていたのだけど、さすがは平日の夜9時、ひとけがまったくない。さて、何を観ようかと思ったが、映画の知識がないから何がよいのか分からない。悩んだあげく「シビルウォー」と「海よりもまだ深く」に絞り込んだ。ヒーロー同士が戦うバリバリのアクションものの「シビルウォー」もいいけれど、「当たり前の人生」というものに思いを馳せるのもいいなと思って、「海よりもまだ深く」に決めた。

 さてチケットを取ろうと思い立つと、さっそく受付の人と目が合う。が、目の前にはつづら折りになった通り道がある。ふだんはここが長蛇の列になるに違いないが、平日の夜に至ってはただの障害物でしかない。これは何とかならないものか、と思っているうちに上映開始5分前。劇場に入り、中央列の最後部に座る。150人ほどが入るであろう劇場なのだけど、周りには3,4人が離れ離れに座っているだけ。安心してスクリーンに向かってまぬけな顔をさらけ出すことができた。前方の若い男性が、医学かなにかの分厚い本を読んでいたのには驚いた。

「海よりもまだ深く」は期待通り、当たり前の人生を描いた物語だった。あらすじというあらすじもない。主人公の男は、かつてナントカ文学賞をとったというささやかな栄光にしがみつきながら、小説家のフリをしてだらしなく生きている。彼らを取り巻く人たちも、またどこか後ろめたさを背負い、葛藤しながら生きている。誰もが多かれ少なかれ「なりたいものになれなかった自分」というどうにもならない運命を背負いながら生きているのであり、そのことが些細な日常から描かれる。ダメ中年男の典型である彼が、実家の母に対して息子らしく親孝行をしようするとき、別れた妻のもとにいる我が子に対して父親らしく靴を買ってやろうとするときに、彼はまだいくつもの「なりたい自分」を持っていて、それを捨てきれずに居るのだということが分かる。

 なぜか分からないけれど、どうしようもなく感動した場面があった。ひとり団地で暮らしている主人公の母が、カルピスを凍らせてシャーベットを作っている場面だ。主人公(息子)やその姉がきたときに振る舞うのだろう。猛暑のなか、年老いた母親はシャーベットを作り続ける。いくつになっても、手元を離れたとしても、母親は母親なのだ。シャーベットをつくる姿に、いろいろな考えがわっと浮かんできて、祖母の姿と重なった。あのときも、祖母はこうして私を待っていてくれたのかもしれない。