もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

パーネ・アモーレ

 田丸公美子さんの『パーネ・アモーレ』を読んでみた。きっかけはおそらく少なからぬ人たちと同じ、米原万里さんの『打ちのめされるようなすごい本』でこの本が取り上げられていたからだ。その紹介によれば、この本の筆者はほかに並ぶ人のいないイタリア語通訳である一方で、じつは米原さんの親しい通訳仲間でもあり、彼女を「シモネッタ」なるあだ名で呼んでいるのだという。いかにもな「イタリア」を想像したくなる愛の人物。これは面白いに違いない。読まないわけには行かないと思った。

 ぼくと同じような経緯でこの本にたどり着いた人は、思った通りかそれ以上の喜びを得ると思う。米原さんの紹介文の面白さに引き込まれてこの本を手に取った人は、米原さんの面白さとはまた違った、シモネッタの世界へ足を踏み入れることになる。まず最初に知るのは、「シモネッタ」は”あちら”を「エッ勝手リーナ」と呼んでいるということ。あちらもあちらなら、こちらもこちら、噴き出さずにはいられない。

 最初の章は「イタリア語通訳奮闘記」、これはシモネッタというのを忘れて真面目に読むべきだろうか……と思ったのが間違いでした。

「雄太君のお母さんですか。こんなこと申し上げてもよろしいかしら。実はうちの息子が申しますには、雄太君に巨乳のヌード写真集を見せていただいたとか……」

私は答えた。

「うちの子に限ってそんなはずは……。だって巨乳は嫌いだ、手に入る小ぶりサイズが好きだっていつも言っているんですのよ (p. 25)」

 最初から飛ばすシモネッタ様。もちろん、通訳の嘘つき(もちろん言葉の綾、いや、嘘つきかも……)としての一面や、明るく生きるイタリア人の気風に間接的に触れることが出来るのは面白い。が、読んで印象に残るのは、なんといってもこの筆者自身が「パーネ・アモーレ」の人なのだということ。この本についてあれこれ品評すると、かえって面白さを損ねてしまうことになりかねない。とにかく声を出して笑った。

 この本の冒頭で、通訳はその国の文化と同化する、という経験則が紹介されているけれど、まさにその通りだ。エッ勝手リーナ妃とシモネッタ様でもこれだけ違うとすれば、通訳という人たちはどれだけ面白いのか。フランス語通訳の「プッツン」、スペイン語通訳の「ガセネッタ」様にもご登場頂きたい。ついそういう欲が出てしまう。

パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記 (文春文庫)

パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記 (文春文庫)