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もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

本を読み書評を書くこと

アドラーとドーレンの『本を読む本』を読んだので、感想も兼ねて「本を読み書評を書くこと」について考えてみたいと思う。

本を読む本

 なぜ本を読むのか。先日もちょっと書いたけれど、読書家ではないにしても本を読む人なら避けては通れない問題だと思う。楽しむために読むのか。知識を得るために読むのか。どちらにせよ、本を味わい尽くすためには活字から情報を引き出し、頭のなかでそれを組み立てないといけない。こう書くと面倒なようだけど、じつは本を読むときには誰もがやっていることだ。そして、誰でもやっているからこそ誰も教えてくれないことでもある。

 その点『本を読む本』は、良書に出会い本を味わい尽くす方法を教えてくれる。この本が言っていることの多くは今やすでに言い尽くされていることかもしれない。けれど、この本が言っていることはさまざまな読書論の本が語っていることを包括し体系的に論じているので、この本は読書術の古典と言われることもある(たぶん)。 たとえば、この本は”効率的”な読みと”徹底的”な読みの両方を読書という一連の行為のなかに含んでいると思う。ビジネス本などでいわれる速読の技術と、教養のために薦められる徹底的な読みを関連づけながら述べている。

 効率的な読みと徹底的な読みはどのようにつながるか。まず読者は、「点検読書」によって本の要点に注目し目利きを行なう。そして「分析読書」によって著者の主張やその誤りを徹底的に検証し、著者の意見に対し正当に批判を加えてゆく。さらに「シントピカル読書」では、そうした徹底的な読みを重ねたうえで、あるテーマを軸にして他の本との関連づけを行なう。こうした積極的読書(本を読みながら思考する読書)の道に足を踏み入れる人間にとって、本書は心強い味方になってくれるかもしれない。

 しかし、そんな高等な読書は出来ないという人もいると思う(僕がそうだ)。けれどこの本がそういう非読書家にも教えてくれるのは、本を読む心構えだ。その心構えというのが、「読書は著者との対話だ」ということ。この心がなければそもそも本書自体「なにエラソーことを言ってるんだ」で終わってしまう。けれど、それでは何も得ることができない。だから読書をすこしでも有意義なものにしたいなら、まず対話の姿勢がないと始まらない。だけどじつはこれがむずかしい。なぜなら、読者が著者の知識や論理性を批判するためには、まず”著者の言い分を理解している必要”があるからだ。誰も訂正してくれないなかで、相手の言い分を正確に理解しなければならない。

 読者が著者の言い分を「分かった」というとき、ある一文だけを取り上げて判断してしまうことがありうる。気になる言葉だけを取り上げて判じることは容易なことだ。しかし、著者の意見がその一文だけに存在するとは限らない。その一文が枝葉の末端に過ぎないこともあるし、実はそれに対する反論がすでに用意されていることもある。だから、一部を見ただけで著者の言い分を理解することは、全体を見て理解するよりもはるかに難しい。普通の読者こそ、論理のつながりを全体的に読み解かなければ、批判をすることはままならない。『本を読む本』の大半がこの分析読書の項目に割かれているのも、それが重要かつ難しいことだからだ。

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

書評

 だから、そうした分析を踏まえて批評的な書評を書くというのはものすごいことだと僕は思う。僕は読書メモをつけたりしているけれど、自分の書いているものが書評だと思ったことは一度もない。評することから逃げているからだ。読書家ではないといって逃げているのだ。

 書評というのは、評者の人柄や知性をはじめ、自身をすべてさらけ出すような行為だ。知的な部分も、精神的な部分も表れてしまうのだから、こんなに恐いことはない。書評で本を意地悪くこきおろせば、意地汚さが表れる。さらに内容をはき違えていれば知性や慎重さが問われる。はっきり言えば、「ちゃんと読んだか読んでいないか」、さらには「まともな読者かそうでないか」が明らかになってしまうことさえあるということだ。

 僕はそんな恐ろしいことはしたくないし、本を批評するという責務には耐えられない(もちろん誤った記述は検証したいと思うけれど)。だからこそ面白い書評というのは大きな価値があると思っている。『打ちのめされるようなすごい本』のように面白い書評を読むと、この評者は楽しみながら本を読んでいるのだと感じることができる。本(著者)への好意が伝わるし、批判にしても人柄のなせるわざか、嫌みがない。それになにより、僕が読むことのできないような難しい本を、評者の力を借りて読んだような気分になる。実際にはそんなことはまったくないのだけど。

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)

 もう一つ、アマゾンの書評を読むのも楽しい。アマゾンのレビューは新聞などの書評よりも平易なことが多いから、だいぶ内容がつかみやすい。和訳本のレビューには原文との表現の違いが説明されていることもある。

 また本をこてんぱんにけなしている書評も、読み終えた後に役立つと思う。そういう書評は、著者の主張に耳を貸すことなく一方的に攻撃していることが往々にしてある。自分の言いたいことがあって、それに合致しない記述を片っ端から攻撃するというやり方だ。もちろんその批判が的を射ていることもあるけれど、単なる思い込みによる批判ならば、そこには本の内容と食い違う部分が出てくる。そこで、本を読んだあとにそうした書評を読んで、その書評の記述が正しいかどうかを根拠づけて述べてみる。これは国語の正誤判定問題と似ている。本と合致しない記述を見抜けるということは、本の理解度のを示すひとつの尺度になるかもしれない。

感想

 『本を読む本』は小難しいという感想もあるけれど、僕はむしろ、こういう読書ができたら読書はとても楽しいだろうと思った。なんといっても、この読書術が身についていれば、本からより多くのことを、よりさまざまな視点から考えることができる。それも生涯を通じて学ぶことができる。そんなロマンのある読書術の本(謎)だと思った。