もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

考えること――職業に貴賎無し

 「職業に貴賎無し」とよく言う。これはこういう意味だと僕は思っている。世の中にはさまざまな職業をなりわいとする人がいて、それぞれがいろいろなかたちで社会を支えている。人が「貴」という職業であろうと、「賎」という職業であろうと、それが無くなっては社会は立ち行かない。だから、本当はそこに貴賎の違いはないのだ、と。

 この言葉に対して、「実際に貴賎があるじゃないか」という意見を見かけることがある。けれどこの言葉は、まさにそういう考え方をしている人にむけて説き諭している言葉なのではないか。人びとが職業に対して貴賎のイメージを抱いてしまうからこそ、「職業に貴賎無し」と言う意味があるのではないかと思う。

 ただ僕は、べつの理由から、職業に「貴」はないにしても「賎」はあると思っている。つまり、世のためも人のためにもならない仕事があるということだ。どこのなにとは言わないけれど、個人のブログを装ってあるサービスの「感想」を書いている記事をいくつか見かけた。どれも書いてあることは一緒で、個人的感想を装いつつ宣伝しているという類いのものだ。使っても居ない商品を宣伝する仕事や、動画のアクセス数を増やすサービスも見た。こうした仕事が必要とされ、価値を見出す人が居るかぎり、これらの職業についても貴賎を語ることは出来ないのだろうか。

 つまるところ、お金になる仕事と人のためになる仕事は違う、という問題だ。人が不幸になることでお金が回るということもある。ただ、それはお金が悪いわけでは決してない。ただ、それらはあまりに良心を欠いた仕事のように思えて、複雑な思いがする。