もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

おかわり競争

今週のお題「給食」

 給食といえば少なくとも年間200回は食べるものだから、思い出もそれだけあって当然だろう。けれどいま思い返してみると、僕にとって給食とは競争そのものだった。牛乳や食べもののおかわりをめぐる競争、これが一番思い出に残っている。

おかわり競争

 おかわり競争というのは、給食の余りをめぐって奪い合いをすることだ。僕以外の子もそうだと思うけれど、小学校の頃は朝ごはんをいくら食べても2時間目のなかばには空腹状態になっていた。3時間目になると腹が鳴った。だから僕にとって給食というのは全力で食べるものだった。

 そういう子たちがおかわりをめぐって競い合うわけだから、これはちょっと本気をかけた勝負になる。まず勝負するには開戦の知らせが必要だ。欠席者がいればその時点で余りが出ることが分かる。あるいは、唐揚げが嫌いな子が居れば唐揚げが余る。配膳の配分でごはんや汁物が余る。こういう事情で余りがあることが分かった時点で戦いが始まる。

 唐揚げや牛乳といった個数単位のものはじゃんけんで勝負が決まるからまだ平和なものだけど、スープやごはんといった個数単位ではないものは完全に早い者勝ちで勝負が決まる。だから僕自身を含めて、おかわりを狙う子はひたすら早食いをしていた。魚のフライや唐揚げのように個数単位のものはじゃんけんで勝負するのだけど、個数単位ではないもの、たとえば麺類や汁物は早い者勝ちだから、いかに早食いをするかで勝敗が決まってしまう。だから、おかわりを狙う子はおしゃべりなどそっちのけで食べる。不思議と女の子もけっこう参加していたように記憶している。この戦いは小学1年生のときから中学3年生の時まであった。僕はやせ細っていたわりに、太った男の子ともよく競っていたと思う。

 反対に、ごく少量しか食べられない子、食べるのが遅い子というのも居た。そういう子は、給食後の長い昼休みのあいだに頑張って完食するか、それが出来なかったら食事途中でも自分ひとりで給食室におぼんなどを返しに行かないといけなかった。いま思うと、とても気の毒な光景だなと思ったりもする。

 ちなみに、牛乳は毎日のように出るから、これを毎日のように余らせる子がいた。とてもありがたい存在だと思っていたのを覚えている(貪欲なお子様だ!)。牛乳は瓶に入っている明治の牛乳だったと思う。さらにその前は雪印だったかもしれない。紙のフタを取るのに失敗し、薄い紙が残ってしまったことが何度かある。そのときは、指でむりやり穴をあけて飲んだ。

嫌いな給食

 嫌いな給食の思い出ははっきり覚えている。”笹かま”だ。なんにも調理されていない笹かま。口に入れた瞬間、生臭さが口いっぱいに広がり、鼻を突きあげた。こみあげる吐き気と、吐くわけにはいかないという思いで板挟みになり、にこにこしながらいやな汗をびっしょりかいていた。結局、そのときは笹かまを口に入れたまま給食時間をやり過ごし、昼休みの間にトイレに行って出した。それ以来、笹かまは食べられない。

 けれど、それ以外の料理は不思議なくらいによく食べられたと思う。嫌いだったヨーグルト、ゆかりごはんや”ちりめんじゃこ”のごはん、梅干しのおにぎりなども、家では食べられないのに、学校のものなら食べることができた。

好きな給食

 僕が好きな給食としてよく覚えているのは、ちらし寿司とミートソースのスパゲッティだ。これは早い者勝ちなので、その日は死に物狂いで食べた。多少えずこうが関係ない。おかわりしたい一心だった。ただ、ミートソースのスパゲッティは好きだったけど、シーチキンを使ったものはスパゲティだけおかわりした。薄情なもので、ソースのほうは「まがいもの」だと思っていた。

 好きな給食とはべつに、思い出に残っている給食というのもある。なんといっても、七夕ゼリー、ひなまつりの菱餅型のゼリーやケーキ(これは年度で違った)、冷凍みかん、卒業の時に出た桃饅頭などだ。ほかにもあるけれど、これらはあまりにも特別で、好きな給食とは言えない気もする。カレーライスや揚げパンなどもかなり特別な感じがあった。やはり普段から競うように食べていたものをよく覚えていて、「好きな給食」といえば真っ先にそれを思い出す。

給食着事件という、忘れもしない嫌な思い出もあるが……。